(フランスでは)教育は国が行う公役務であることを前提に、できるだけ多くの若者が高等教育資格を取得することが重要な政策目標として位置付けて進められている。
高等教育資格を得た人が増えることがより安定した社会を構築する重要な方法の一つであり、高等教育の受益者は社会である、と考えられているのだ。これは、無償化を議論する上で、知っても良い一つの社会のあり方ではないだろうか。
さらに、学生の支援を政策決定していく中で、社会格差を解消することがよりよい社会のために必要だ、という共通認識があることも、重要なことだろう。政党の人気取りではなく、より良い社会はどのように作られるべきか、統計調査および教育社会学研究の知見をもとに考える教育政策がそこにはある。
例えば、進学意欲は個人的な責任ではなく、社会的にもつくられるものであること、進路選択の幅が個人間で異なることと社会的格差の関係性は教育社会学研究で明らかにされているが、これは日本でどの程度一般的に認識されているだろうか? 自己責任論が流布する中では今さらながら強調したい点である。
進路選択、そしてそこにある格差は個人の責任のみによるものではない。高等教育進学が社会にもたらす利益はどのようなものなのか、そして、誰に支援することがよりよい社会を作ることになるのか、いま一度立ち止まって考え、無償化の対象議論が行われることを望みたい。