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記事紹介|美しい人

ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが 相手にとって非常に価値をもつものだ ほほえまれたものを豊かにしながら ほほえんだ人は何も失わない フラッシュのように瞬間的に消えるが 記憶には永久にとどまる どんなにお金があっても ほほえみなしには貧しく いかに貧しくても ほほえみの功徳によって富んでいる (中略) もし あなたが誰かに期待したほほえみが得られなかったら 不愉快になる代わりに あなたの方からほほえみかけてごらんなさい 実際 ほほえみを忘れた人ほど それを必要としている人はいないのだから ◇ 自分からは何も出さず、「ちょうだい、ちょうだい」とまわりに何かを要求ばかりする人は多い。 自分のことを認めてくれない、誰もやさしい言葉をかけてくれない、誰も誘ってくれない、という「くれない族」だ。 「自分にしてほしいと思うことを他人にすること」 ほほえみと、自分への自信と、人の身になって考えること、を大切にする人でありたい。 美しさへの三つの条件|人の心に灯をともす  から

記事紹介|人が捨てた運を拾う

人が捨てた“運”を拾っている。大谷 翔平 メジャーリーガーとなった大谷選手が、渡米後の試合でグラウンドに落ちていたゴミを拾っていたことが記事になっていました。 『実は、大谷翔平は意識してグラウンドのゴミを拾っている。 2015年、チームの大先輩、稲葉篤紀(現侍ジャパン監督)が、ベンチ前のゴミを拾ったのを見て感動して、それを真似るようになったのだ。 彼自身はそれを「人が捨てた”運”を拾っている」と表現した。 「ゴミを拾う」のは小さな行為だが、 大谷には自身の平常心を保ち、冷静にプレーするためのキーアクションになっているのだ』 どんな状況でも周りを見る冷静さがあるということでしょうが、 同じ花巻東高の先輩にあたる菊池雄星選手も高校生時代のインタビューで、 『例えばゴミが落ちていると、「神様が自分を試している」と思う。 そうやって、いつも神様が自分を見ていると思っている』 と答えていました。 心技体の心を磨くには、こうして人間力を鍛えることが大事なのでしょう。 人が嫌がること、したがらないことに勇気を出すことですね。 ちなみに昨日の仙台での羽生君のパレードでは10万人を動員したようですが、 ファンの呼びかけで皆さんがゴミ袋を持参してゴミを持ち帰って、ボランティアが「拾うゴミがない」という状態になったようですね。 ゴミ拾い|今日の言葉  から

記事紹介|自分を変えれば世界が変わる

人はみな世界を変えたいと思うが、自分自身を変えたいとは思わない。トルストイ 逆から言えば、自分を変えれば世界が変わるということ。 世界とは自分の手の届く範囲のこと。 自分が影響を受ける範囲のこと。 自分が変わると受け方が変わってくるから、世界が変わる。 苦しいのは、自分以外の誰かを変えようとするからなのかもしれません。 自分を変えるとはアウトプットを変えること。 言葉を変え、行動を変える。 世界って意外と簡単に変わっていくものなのです。 変えるものは|今日の言葉  から

記事紹介|自分に足りていないことを認識する

「謙虚さがなくなる兆候」 時間に遅れだす。 約束を自分の方から破りだす。 挨拶が雑になりだす。 他人の批判や会社の批判をしだす。 すぐに怒り出す(寛容さがなくなる) 他人の話を上調子で聞き出す。 仕事に自信が出てきて、勉強しなくなる。 ものごとの対応が緩慢になる。 理論派になりだす(屁理屈を言う)。 打算的になる(損得勘定がしみつく)。 自分が偉く思えて、他人がバカに見えてくる。 目下の人に対して、ぞんざいになる。 言い訳が多くなる。 「ありがとうございます」という言葉が、少なくなる(感謝の気持ちがなくなる)。 謙虚さとは、相手を敬い大切にする姿勢から来るもの。 自分に足りていないことを認識するから来るものでしょう。 それがなくなるということは自分が受けている恩恵忘れてしまったということ。 自らの成長を止めてしまったことの証でもあると思います。 全部に当てはまる人は殆どいないでしょうが、 多くの人が一つや二つは当てはまるものがあるかもしれません。 ハッとするものがあれば、その逆を実行すれば良い。 謙虚さ|今日の言葉  から

記事紹介|代謝なくして創造なし

経営において本質的に大事なことは、たったひとつ。 それは、会社が「生きている」ことである。 「生きている」とは、ただたんに存在することではない。 会社全体が大きな熱を帯び、理詰めで考え、行動し、新たな創造に向かって社員たちの心が奮い立っている。 「生きている会社」とは、そういう会社だ。 生きていさえすれば、目の前にどんな困難が待ち受けていても、きっと未来を切り拓いていくことができる。 生命体としての力強さが、会社という「生き物」の価値を決める。 「GAFA(ガーファ)」と呼ばれるアルファベット(グーグル)、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コムなど、米国西海岸のIT企業が世界を席巻し、躍進しつづけるのは、たんに彼らの先見性や高い技術力だけが理由ではない。 彼らは世界のどの会社よりも挑戦をしつづけ、新たな価値を創造している。 「デーワン(1日目)」の初々しくもフレッシュな気持ちと行動を忘れずに、「生きている会社」でありつづけようと、懸命に努力をしている。 一方、日本にいま、どれほど「生きている会社」があるだろうか。 挑戦しつづけ、実践にこだわり、創造に燃えている会社がどれだけあるだろうか。 現実を見れば、挑戦よりも守りに終始し、実践よりも管理に走り、創造ではなく停滞に沈んでいる会社がじつに多い。 会社としては存在していても、実体は「死んでいる」。 大志や理想を脇に置き、目先の利益やROE(株主資本利益率)といった経営数字に振り回され、いつの間にか数字だけを追いかける日本企業が増えていることに、私は大きな危さを感じている。 会社を、数字だけで「いい」「悪い」と安易に判断してはいけない。 最も大事なのは、その会社が「生きている」か「死んでいるか」かである。 「生きている会社」とはどういう会社を指すのか。 それは次の言葉に集約される。 《絶え間なく挑戦し、絶え間なく創造し、絶え間なく代謝する会社》 「生きている会社」とは、未来を切り拓こうとする明確な意思をもち、常に自己否定し、挑戦しつづけ、実践しつづけ、創造しつづける会社だ。 しかし、それだけでは足りない。 じつは、「生きている会社」でありつづけるための鍵は「新陳代謝」にある。 会社は、よく見れば、いらないものだらけである...

記事紹介|感性

あなたといると月が綺麗ですね 夏目 漱石 「I love you」という言葉を夏目漱石が訳したらこうなったそうです。 AIが発達して自動翻訳が発達しても、文章の意味そのものは理解しないAIがこうした表現を自分から紡ぎだすことは不可能でしょう。 ここに人間らしさがあるのだと思います。 直訳は、知識を与える行為で、漱石の訳は、心を教えている行為と言えるのではないでしょうか。 「雪が融けると何になりますか?」という質問に 「水」ではなく、「春になります」 と答えられる感性に通じますね。 意味|今日の言葉  から

記事紹介|失敗とは人間を立ち止まらせ、その人生を考えさせ、チャンスを探させる、成功の前兆なのだ

業種に関係なく、あなたは常に無限のチャンスがある。 型にはまった考え方を捨て、新しいものとかかわろうとする人々は、物質的に満たされるだけではなく、自分の仕事のなかに多大な喜びと満足を見出すことができる。 もしあなたがチャンスを待って、言い訳に言い訳を重ねているのなら、いずれは「もう年をとりすぎた」という最後の言い訳にたどり着くであろう。 この世を去るその日まであなたは、世界は自分に背を向けていて、自分の才能はふさわしい評価を得ず、成功した人たちは単に「運」や「まわりの力」に恵まれていただけなのだと考えつづけるであろう。 億万長者とあなたとの間にあるただ一つの差異は、「自身の姿勢」なのだ。 あなたは自分自身にとって、最も質が悪く手ごわい敵になりうるのだ。 「この世のどんな力も、あなた自身ほど、あなたの成長を確実にそして容赦なく妨げることはできはしない」 自分の無限の可能性を理解し、チャンスをつかむことは自分の当然の権利なのだと気づいたなら、ただ前に進めばいい。 1809年、ケンタッキーにある赤ん坊が生まれた。 父親は貧しいうえに、浮浪者であった。 母親は子どもが9歳のときに他界した。 すべてのチャンスは待っているだけではなく、自分で探さなければいけないと言い残して。 父親が反対し、彼は本を読むことも許されなかった。 彼の名はアブラハム・リンカーンといった。 「探せ、さらば見つけられるだろう」という言葉は、人は何であれ、まず探さなければそれを手に入れることはできない、という意味である。 待て、されば訪れるだろうとは意味が違うのである。 ◇ 『ある父親が息子の通信簿を見て、そのあまりの劣等生ぶりに愕然とした。 父親は息子に法廷弁護士になってもらいたいと考えていたが、校長はその可能性はまったくないと断言した。 少年は落伍者だった。 そう、この人物こそウィンストン・チャーチルである。 彼は法廷弁護士にはならなかった。 ただ英国史上最も偉大な指導者の一人となったのである。 挫折は彼に大志を抱かせた。 奇妙に聞こえるかもしれないが、失敗とは人間を立ち止まらせ、その人生を考えさせ、チャンスを探...

記事紹介|大学改革が目指すべき方向性

経団連の教育問題委員会企画部会(三宅龍哉部会長)は3月1日、東京・大手町の経団連会館で会合を開催し、今後の大学改革が目指すべき方向性について、大学マネジメント研究会の本間政雄会長から説明を聞くとともに意見交換した。説明の概要は次のとおり。 終わらざる国立大学改革 国立大学改革は、戦後の新制大学発足以降、これまで数次にわたり行われてきた。近年では小泉政権下の「遠山プラン」(2001年策定)が挙げられる。同プランのもと、再編・統合の推進とそれによる国立大学数の大幅な削減、民間的経営手法の導入、第三者評価による競争原理の導入等が行われた。その後も、国立大学法人化(04年)や民主党政権下での大学改革プランなどがあり、その結果、01年に99あった国立大学は86まで減少するとともに、学長を中心とした運営体制の確立、外部人材登用による企業経営手法の導入などが推進されてきた。企業との共同研究による収入や特許料収入も約2倍に増えていることも踏まえると、形式的には大学改革は進んでいるようにみえる。 しかしながら実情は問題が山積している。統合・再編については、文部科学省が一定の指針を示さず、大学の自主的な検討に任せたため、一貫性のないちぐはぐな統合が見受けられ、教員ポストや入学定員は減少していないため、かたちだけの縮小になっている。事務職員の数も私立大学と比較すると明らかに多く、コスト意識や生産性において問題がある。さらに、外部理事の大半は文科省や大学関係者であったり、同省が任命する監事も実際は大学側が推薦しているケースが多かったり、経営目線をもった外部人材を登用できているとはいい難い。同省が13年に示した目標は、10年以内に大学ランキングトップ100に10校ランクインとしているが、途中経過ながら現状は極めて厳しい状況となっており、その達成は難しいとみている。 大学改革が目指すべき方向性 18歳人口は直近のピーク時に比べ半減しているが、国立大学学生数は60万人前後でほとんど減っていない。真に高い意欲と能力を持った学生の学びの場となるよう、戦略的にダウンサイジングするとともに、教育・研究機能を強化すべきである。例えば、旧七帝大や地方の基幹国立総合大学は学部を大幅に縮小し、研究に重点を置いた「大学院大学」に移行するのも1つの考え方である。また、大学の国...

記事紹介|話し三分に聞き七分

美しさは女の生命だともいえる。 修道院に入った身に着飾ることも、化粧することも縁遠くなったが、美しい言葉を使うことはできる。 それは、あそばせ、ございますを頻発することではなくて、できるだけ美しいひびきを持った言葉を使うと同時に、適切な言葉を正確に使うことも意味している。 借りものでない自分の言葉、そして、相手を傷つけないやさしい配慮を含んだ言葉でもある。 ヴァイオリンの早期才能教育で知られている鈴木鎮一氏が、 「まず自分の言葉が相手を傷つけるかどうかを感じる能力を育てること、それが育てば、バッハやモーツアルトの美しい音楽を感じとることができる」 という意味のことを言われたように記憶しているが、他の子どもに負けないようにと、高い月謝を払い、高価な楽器を買って我が子を音楽塾に通わせている親たちの味わうべき言葉であろう。 今日のようにお金さえ出せば誰も彼も同じような服を着ることができ、立派な家に住み、車をのりまわし、外国旅行に行ける大衆社会の時代において、教養をあらわすものの一つは言葉となろう。 流行語でしか話せない人でなく、豊かな語彙(ごい)をもち、やたらに外国語を使うことなく美しい日本語を話し、自分の立場を正確に判断して正しく敬語を使うことのできる人になりたいものである。 自分の感情をすなおにあらわし、意見を他人にも理解できるように伝えるとなると、これはもう言葉の意識ではなく、話す人の品性にかかわってくる。 感情を適度にコントロールできる自制力、客観的にものごとを見る判断力、そして個性のある生活が必要となってくるだろう。 人は話す前は自分の言葉の主人だが、口から出してしまった言葉の奴隷でしかない。 そのためにもよく考えて話すことがたいせつだ。 矛盾のようだが、よく話すために、そして美しい言葉を使うためには沈黙が必要となってくる。 それは押しだまった沈黙、「自分」でいっぱいの沈黙でなく、または「物言えば唇寒し」といった自己防衛の沈黙でなく、実り豊かなもの、その間の充実のあふれが人をして話さざるを得なくさせるような準備の時間であり、自分のこれから話そうとすることの響きをあらかじめ聞くべく心の耳を澄ます時間である。 女の人の沈黙は特に美しいと思う。 ほほえみとともに美しい沈黙を育てること。 言葉に先立つも...

記事紹介|歴史に学ばない者は、歴史の繰り返しに抗し切ることもできない

名古屋市立中学校が前川喜平・前文部科学事務次官を講師に招いた2月の総合的な学習の時間について、文部科学省初等中等教育局教育課程課が市教委に授業内容の報告を要請していたことが分かった。きっかけは国会議員からの問い合わせだったというが、それにしては文面に前川氏への悪意が感じられる。 天下り問題で辞職し、出会い系バーを利用した同氏を、道徳教育が行われる学校の場に、どのような判断で依頼したのか――。まるで前川氏の人格が反道徳的であるかのような書きぶりである。天下りはともかく、出会い系バーの方は違法性がないにもかかわらず一部新聞が1面肩で報じた在り方が政権側の意図をくんだと批判され、その後の週刊誌報道で性的欲求を満たす意思がなかったことが明らかにされたにもかかわらず、である。 旧文部省系の現役官僚には前川氏を慕うだけでなく、批判的な者も相当数いるようだ。今回の報告要請の背景に、前川氏に対する怨嗟(えんさ)がなかったとは言えまい。しかも「考え、議論する道徳」を進める立場の初中局が、前川氏の道徳性を断じている。それも、その官僚たちが考える官僚としての道徳的価値で判断しているにすぎない。 そんな省内の人間関係を問題視するのは、決して業界紙誌的な野次馬根性ではない。世代間のギャップが、今後の文教行政に深刻な劣化をもたらしかねないと懸念するからだ。 少なくとも前川氏までの世代なら、個別学校の授業実践を文科省が直接問い合わせるなどということには極めて抑制的であるべきだという暗黙の合意があった。それは戦前・戦中の教育に対する反省であるとともに、戦後の「偏向教育」問題や教科書裁判など激烈な教育権論争を通して、旧文部省なりに得た教訓である。調査するにしても、ソフトなやり方はいくらでもあったはずだ。 しかし最近ではいじめ問題や教科書採択問題など、担当課はもとより政務三役さえ現場に出張って調査する事例も珍しくなくなった。それが「異例」であるという感覚がまひし、法令上は何ら問題はないと平気で容認してしまう。 例えば学習指導要領に関して、2003年の一部改訂をめぐり若手官僚には「なぜ改めて指導要領の基準性が問題になるのか。もともと指導要領は大綱的基準であって、現場の裁量が大幅に認められているではないか」という声があったという。指導要領通り、教科書通りに教...