2008年10月24日金曜日

アドミニストレーターの創造(1)

近時、高等教育を取り巻く状況が未曽有の変貌を遂げる中、危機的状況に立たされている大学は、学生の多様化や学問の変化等に迅速かつ適切に対応していくための生き残り戦略を立案し、効率的・効果的に実現していかなければなりません。

そのためには、常に自大学の比較優位性を追及し、国内外の大学間競争に打ち勝つ力を備えなければならず、経営トップの理事長や学長のみならず、大学を構成する全ての教職員が一丸となって様々な改革に果敢に取り組んでいく必要があります。

とりわけ、大学職員の職務能力の開発は、今後の大学の経営力の盛衰を占う極めて重要な要件になりつつあることは疑う余地のないところです。

今回から、大学経営人材、あるいは大学行政管理職員と称される「アドミニストレーターの創造」に向け、大学職員はどのような能力を備えるべきなのかなどについて、中京大学の刀根實(Makoto TONE)氏が書かれた「大学組織と大学行政管理職員」(University Organization and Administrators)という論考(抜粋)を数回に分けてご紹介したいと思います。

なお、この論考は、刀根氏が、2000年度の「大学行政管理学会研究集会」において発表された内容を基に加筆修正されたものです。

はじめに

21世紀を目前にして、教育のあり方が根元的に問われている。日本経済が情報化やグローバル化で変貌し、教育産業においてもマーケットである学生をどう鍛えるかが、それぞれの組織や国家そのものの未来を決定づける時代が到来した。そして大学を含めた我が国の教育産業は、大きな転換期を迎えることになる。ようやく我が国でも大学に、アメリカがかつて経験した学生消費者主義の時代が到来することになる。

これら我が国の大学を教育職員と共に支える事務職員も、新たな進化を余儀なくされている。新しい世紀に対応可能な、日本式大学行政管理職員を作り上げるためには何が必要で、何をしなければならないのか?これまでもいくつかの方法論が本学会を始め、いくつかのフィールドで語られてきたが、さらに具体的且つシンプルなモデルを創造し、次世代への架け橋とすることが本論の目的である。

まずは、個としての事務職員が所属する大学の組織について概括することから始めたい。言うまでもなく、我が国の大学は「教育と研究」という大学の目的に支えられ、その教授陣は象牙の塔に君臨してきた。本来、組織的には教育職員と事務職員は比喩的に車の両輪に例えられる。しかしながら現在でも、教員が主で、職員は従という意識をほとんどの事務職員が持っているのではなかろうか。筆者が勤務する中京大学の経営トップである梅村清弘学校法人梅村学園総長・理事長は、機会あるごとに我々事務職員に対し、この両者は同等の立場であることを主張しておられる。これは、21世紀の今でもまだまだ教育職員が、事務職員よりも上という意識が根強く残っていることの裏返しであり、残念ながら事務職員が行政管理を行えるだけ進化出来ていない表れと言えよう。その理由はどこから来るのか?その理由を探るべく、最初に大学組織を概観する。

大学の組織

1 大学組織の二重性

大学を組織として捉えた場合、鳥越皓之関西学院大学副学長(当時)が指摘したように我が国の大学は、企業のようなピラミッド型の組織になっていない。つまり大学という高等教育研究機関は、教育研究に関する管理組織と、経営に関する管理組織との二元構造から成り立っている。そしてこの二つの組織が、調和と不一致による対立を交互に繰り返しながら、大学そのものの共通目的である教育と研究を達成すべく組織維持活動を行っている。バーンバウムによればこの「大学組織の独自の二重構造」の研究は1960年のコーソンによるものが最初であり、先にあげた二つのシステムはどちらも、一定の構造形態あるいは委譲の形態を持っていないがために、この二重システムはより複雑となるとしている。

かつてドラッカーは、情報爆発からくるコミュニケーション・ギャップの最たる例として、「経営者と労働者、企業と政府、教授会と学生、その二つと大学行政管理職員達」(大学行政管理職員達の原文はadministrators)という表現を行い、大学組織を痛烈に批判した。大学組織における学生の取り扱いについては、大学という組織の経営管理に参加していない点に着目し、集団メンバーではあるが、組織メンバーではないものとして取り扱うとするのが、マネジメントを遂行する大学行政管理職員の支持する立場であると考える。また、ドラッカーが指摘した大学組織におけるこうした問題点は、組織構造とコミュニケーションの重要性がどれだけ認識されているかによるが、現実問題としてほとんどの大学は、まだ混沌状態にあると言わざるを得ないのが現状である。先のバーンバウムもこの原因を「支配の二重性」と呼び、大学が専門組織であることからくる特殊性ゆえに、大学組織の理解を難しくしている点を強調している。

次に、こうした二元的組織構造はどのような意味を持ち、またどのように機能しているのかを考えてみると、学校を設置している法人と大学のそれぞれが組織の目的達成のために機能を分担しており、事務組織は双方に対し調整、ある部分は統合という関係になっていることが分かる。言い換えれば、大学と法人、そして事務組織(=事務職員)が機能区分に重点が置かれ、不即不離の関係であり、学生(=顧客)を中心に三位一体の管理機能分担を行っているとも言える。また同時に、この組織からは、教育職員、事務職員といった職務機能に関係なくすべての組織構成メンバーが、本来的に経営管理に参加すべき性格のものであることも意味している点に注目しておく必要がある。

2 経営管理からマネジメントへ

大学全体をひとつの組織体として認識し、そこにマネジメントという概念を導入したのは最近のことである。以前は、大学の教育研究機能を重視するあまり、学校関連の法令にも「管理」という表現が用いられ、その後「運営」が加わり「管理運営」と変化してきた。この流れを受けたにしても、事務職員に「行政管理」という概念が持ち込まれたのは極めて自然であったと言えよう。ドラッカーによれば「(かつては)マネジメントは非営利機関では悪い言葉であり、それは非営利機関にとってマネジメントはビジネスを意味し、ビジネスは非営利機関がそれではないという認識であった。今日でもマネジメントは企業でそれを意味するものと信じているアメリカ人は多い。」ということになる。これは単に管理がマネジメントという用語に転換されただけでなく、現代という時代そのものが、大学のような非営利組織に対してもマネジメントの必要性を認識し始めたことへの裏付けでもある。さらに言えばそれが、大学という非営利組織に対しても、行政管理=アドミニストレーションという概念を導入すべきであると叫んでいるとも言えよう。

先程、大学組織の概要を見てみたが、改めて組織の概念について考えてみる。どのような計画を立ててみたところで、実際に実行するための手段がなければ意味がない。組織は、それを実行するための手段として存在する。言い換えれば、目的達成のための社会的な道具であると言える。さらに組織は、個人や組織構成単位が、組織の活動を実行するためのグループを、どのように分類するかについて定義する。必然的に組織内に目的に応じた階層が発生し、いくつかの機能分離を行うこととなる。800年という歴史を持つ高等教育研究機関の目的を考えると、我が国とそうでないとに関わらず、普遍的で共通の性格を合わせ持つことが推測出来る。例えば、学問の国際性という問題を考えてみても、突き詰めると大学は人類の英知の宝庫となり、大学の組織目的の持つ高い公共性も理解することが出来る。また、我が国では大学の目的は教育と研究のみとされ、特にアメリカと異なりサービスや社会貢献という概念がほとんど前面に押し出されない。このことは、日米大学組織の使命観に対する認識の相違によるところが大きいと考えられる。

大学における経営管理は、大学の目的である教育と研究を達成するための手段であると述べた。言い方を換えれば、経営管理は大学目的を達成するためにのみ存在が許されるものであると言える。そして経営管理を実践するには、大学を取り巻く環境変化要因との関係を理解し、経営管理者自身に皆の視線が集まっていることを認識するところがら始める必要がある。大学の本質と理念である根源知と真理の探求、そして大学の機能と役割である3つの要素、1)知識の獲得(研究)、2)知識の伝達(教育)、3)知識の応用(社会貢献)、そして最後に大学の自治および自律と自立によって大学の目的である教育と研究が、経営管理という手段によって展開される。これらを展開する組織の構造特性として、二系統の管理機構が存在するのである。