午前6時に起床し、退所のための荷造り。7時に朝の集いがあり、娘がみんなの前で渡嘉敷島での活動を紹介。この朝ご一緒した団体は、沖縄本土から来たスポーツ少年(少女)団、兵庫県姫路市から来たボーイスカウトの少年たちでした。昨日までは宮城県から来た団体がいましたので、皆さん結構遠くから来ておられますね。
交流の家のメインストリート
広々としています、ここは元米軍基地とか
我が家が宿泊した「すばる棟」
風通しの良い和室と洋室があります
周囲に張り巡らされたハブよけの塀
人の背丈ほどの高さがあります。おかげで安心して活動できます
7時30分に朝食、8時30分までに清掃完了。ここでは、使った部屋・トイレ・お風呂の清掃を退所前に自分でやることになっています。ゴミも渡嘉敷村のルールに従って分別することになっています。当然といえば当然ですね。
交流の家の職員の方による清掃チエックに合格するといよいよ退所。
9時に、「米浜交通」という村唯一のタクシーにて港へ行くことになっていたのですが、待てど暮らせどやってこない。よくある”沖縄時間”だろうと思っていたんですが、いよいよ出港時間が近づいてきたので、念のために電話をしてみたら、予約をすっかり忘れている。すぐに、おばちゃん運転のワゴン車が飛んできました。なんでも、ワゴン車2台で村中を走り回っているとか。この稼ぎシーズンに1台が故障してしまって、沖縄本土(那覇)にフェリーで車を送っているので、修理が終わるまでは、1台でのピストン輸送でしのいでいかなければならないとのこと。お気の毒な気がして、愚痴の聴きっぱなしでした。
10時過ぎに渡嘉敷港を出港しました。
家族にとっては初めて、私にとっては12年ぶりの渡嘉敷島でしたが、大変充実した思い出深い2泊3日の滞在でした。また来年も来ようと思います。(我が家の財務省次第ではありますが・・・。)
出発前の渡嘉敷港
さようなら渡嘉敷島
泊港「とまりん」に到着。レンタカーを借り、一路お気に入りの”北部”へ向かいます。
途中、休憩と昼食を兼ねて「Gala青い海」(読谷村)というところに立ち寄りました。
美味! オリジナル「塩そば」
塩博物館があります
海水濃縮タワー
風の力等を利用して、上部のピラミッド型風車が回転し、それに連動して、海水で湿った回転式ネットドラムも回転することで海水の水分が蒸発。太陽の熱で室温が上昇し、水分の蒸発が促進。地球にやさしい国内初の海水濃縮設備だそうです。
ガラス工房もありました
読谷村の美しい西海岸
子ども達に「塩づくり体験」をさせようと思ったのですが、30分間七論の前でぼーっとしているのは耐えられないだろうと思い、急遽「陶芸体験」に変更しました。
陶芸といっても、少しばかりの粘土で、思い思いに手びねりで好きなものを作るもので、子ども達はお店のおばちゃんに手伝ってもらって、”シーサー”を作りました。三人三様の個性がにじみ出た傑作(?)に仕上がったようです。焼きあがったものが1か月ほどすると自宅に贈られてくることになっています。
ちなみにこれが送られてきたシーサーの一つです。
(つづく)
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