「がんばること」の大義名分
人間として生まれてきた以上、1.アタマをよくし、2.意思を強め、3.力をつけて、世のため、人のために奉仕しなければならない。
この力をつけるためには、「勉強好き」で「素直」であり、そして「プラス発想型人間」になるのが一番近道である。
なぜなら、これらの三条件を満たすと、人は「がんばること」の大義名分をつかむからであり、がんばらないと、アタマもよくならないし、意思も強まらないからである。
人生は勉強のためにある
アタマをよくし、人相をよくするように努めることを「勉強する」というと、 人生=現世は勉強のためにあるようである。
その勉強の結果が、造物主によってテストされ、死後とか来世が決まるのではないだろうか......こう考えるのが一番楽である。
良心に恥じることもしなかったし、人のため、世のためにも尽くせたし、一生、努力を続けたし、よかったな あー...と思って死ねるために、われわれの人生があるようだ。
だから、そのためにがんばろう......というのが、今の私の人生観である。
世の中は日々、生成発展している
私は、「生成発展」というコトバが好きである。
というより、世の中は、日々、 生成発展していると思っている。
昨日より今日のほうが、間違いなく進んでいるし、今日より明日のほうがさらに、よいほうに進んでいると思っている。
これが「過去オール善」という考え方や、「他者オール肯定」という目標になったのだが、これは、宇宙の真理として、何人も肯定するのではないだろうか。
もちろん、ミクロに見れば、若く元気であったときに比べて、老いて病むと、昔のほうがよかったようであるが、それは肉体的一個体のことであり、一個体の肉体上の成長、成熟、必滅のライフ・サイクルを通じて、精神が生成発展を続けることは間違いない。
さらに種として見るとき、子が生まれ、成長し、老いて去るということこそ、最高の生成発展の条件でもある。
世の中で起こることは、すべて必然
世の中で起こることは、すべて、必然的に起きています。
失敗も例外ではありません。
運が悪い、たまたま悪い偶然が重なってしまったという見方がありますが、それは、ことの必然性を自分が認識していないだけであって、本当は、すべて起こるべくして起こっているのです。
さらにいえば、これもサムシング・グレートの采配です。
失敗しなければ、失敗しないための工夫も生まれません。
つまり、サムシング・グレートは、私たちに失敗から何かを学ばせるべく、あえて失敗をさせるようです。
まずは肯定し、必然だと思うこと
たとえ身を切られるほど悲しいことでも、まずは肯定し、必然だと思ってみることです。
そのうえで、全身全霊をかけてことにあたり、よき未来を確信するようにしていれば、自ずと道は開けていくもののようなのです。