変わることを、恐れない
かつて中国に、こんな言葉が伝わっていました。「志ある者は、わずか三日会わぬ間にも、見違えるほど成長する。ゆえに再び相まみえるときは、目をこらしてよく見よ」と。今日は、この言葉を手がかりに、「変わり続けるということ」について考えてみたいと思います。
一 止まらぬのが、この世の理です
今から三千年以上も昔、ある王が日々手にする器に、こう刻んでいたといいます。「日に新たに、また日に新たにせよ」と。世の移ろいがいまよりずっと緩やかであった時代にも、この王は自らを日々更新することを、生涯の戒めとしていたのです。
思えば、この世にあるもので、一瞬たりとも静止しているものはありません。古きものは滅び、新しきものが次々に生まれます。これこそが自然の理法なのでしょう。であれば、私どもの営みもまた、日に新たであることが本来の姿なのではないでしょうか。
静止しているものなど、ひとつとしてありません。
二 意見が変わることは、恥ではありません
かつて、ある人物が友と議論を重ねていました。ところが会うたびに、その意見は変わっていたといいます。それを見た友は、「あなたの言うことは昨日と今日とで違う。それでは信を置けない。志ある者ならば、揺るがぬ信念を持つべきではないか」と諫めました。
すると、その人物はこう応えたといいます。「先人も『君子は時に従う』と説いております。時は刻々と移ろい、世の情勢もまた絶えず変わる。ならば、昨日の是が今日の非となるのもごく自然なことでしょう」と。そして、こう付け加えました。「一度こうと定めたことに固執すれば、時代に取り残されてしまいますよ」。
これが史実であるかは定かではありません。しかし、変化のめまぐるしい今の時代にあっては、「変えぬ強さ」よりも、「時に従って自らを新たにする柔軟さ」にこそ、学ぶべきものが多いように思われます。
三 取り残されぬために
はじめに紹介した「三日会わざれば刮目して見よ」という言葉は、むろん男女を問わず、また年齢を問わず、誰にでも当てはまるものです。
その一方で、三日どころか一月経ち、一年経っても、少しも変わらぬ者もおります。現状にとどまり、変わろうとしない者です。世が凄まじい勢いで変化しているにもかかわらず、自らを変えようとしない者は、いずれ時代から取り残されていくことでしょう。
刻々と時は移り、そして変わります。
しばらく会わぬ人と、再び相まみえたとき――
「見違えるほど成長した」と言われる、そのような自分でありたいものです。
コメント
コメントを投稿