大学が政府に抗議――私たち市民は、外国人政策をどう考えるべきか

上智大学グローバル・コンサーン研究所 が、日本政府の外国人政策を厳しく批判する抗議声明を公表しました。

そこには「排外主義的な政策」「むき出しの悪意」「憎悪や分断」といった強い言葉が並んでいます。大学の研究機関が政府に対してここまで踏み込んだ声明を出すことに、驚いた方もいるでしょう。

この声明に賛成するか反対するかは、一人ひとりの判断です。しかし、それ以前に考えておきたいことがあります。

なぜ、いま、このような抗議声明が出てきたのでしょうか。

抗議が出たからといって、直ちに政府の政策が誤っているとは限りません。大学にも固有の理念や価値観があります。一方で、「大学が政府を批判しているだけだ」と片付けてしまうのも適切ではありません。

強い抗議が生まれたこと自体が、日本社会の中に何らかの緊張が生じていることを示しているからです。

政府が向き合っているもの

政府の外国人政策を「外国人排斥」とだけ捉えるのは正確ではありません。

日本は人口減少と労働力不足を抱え、すでに多くの外国人が社会や経済を支えています。政府も外国人の受け入れそのものを否定してはいません。

その一方で、外国人による一部の違法行為やルール違反、制度の悪用などをめぐり、国民の間に不安や不公平感が存在することも政府は認識しています。

政府の政策を考える一つの見方
「受け入れます」 + 「日本社会のルールは守ってもらいます」

これは政府の役割として理解できるものです。外国人であっても、日本で暮らす以上、法律や社会のルールを守ることは当然求められます。違反に適切に対処することも行政の責任です。

問題は、その厳格化がどこまで及ぶかです。

秩序を守るための政策が、外国人であること自体への警戒につながっていないか。個々の違反への対応と、外国人全体を一括りに扱うことの境界は保たれているか。そこは政府が丁寧に説明すべきところです。

今回の声明が挙げている制度変更の流れ
2023
難民申請中の人の
強制送還をめぐる制度変更
2024
永住資格の取消しを
めぐる制度変更
2025
在留・永住許可手数料などの
引き上げ

※上記は、上智大学グローバル・コンサーン研究所の2026年10月30日付抗議声明が挙げている経緯を整理したものです。 声明本文を確認する

大学が警戒しているもの

一方、上智大学側が問題にしているのは、個々の制度だけではありません。

在留資格に関する規制、永住者をめぐる制度変更、各種手続きの負担などが重なり、さらに政治や社会の中で外国人に対する批判的な言葉が強まると、

「日本社会は外国人を
ともに暮らす人々ではなく、
管理し、選別する対象として
見始めているのではないか」

という危機感が生まれます。

声明は、その危機感を表明したものと見ることができます。

もちろん、「排外主義」や「悪意」という言葉は事実そのものではなく、大学側の評価です。そのため、その評価をそのまま受け入れる必要はありません。

しかし、声明を無視する理由にもなりません。

大学がそこまで強い懸念を表明するに至った背景には何があるのか。

そこに耳を傾けることには意味があります。

「日本人の不安」と「外国人の不安」

今回の問題を考えるとき、見落としてはいけないのは、社会の中に異なる二つの不安が存在していることです。

日本人側の不安

外国人が増えることによる生活習慣の違い、地域社会での摩擦、ルール違反などを身近に感じ、「以前とは違う社会になってきた」と感じる人もいるでしょう。

外国人側の不安

日本で長く暮らし、働き、税金を納め、地域社会の一員として生活している人にとって、自分が「外国人」というだけで社会から警戒されるようになったと感じるなら、それも無視できません。

こうした日本人側の不安を、ただ「外国人差別だ」と片付けてしまえば、問題の解決にはなりません。

同時に、外国人側の不安を無視することもできません。

双方の不安を認識したうえで、
どこまで公正な制度をつくれるか。

そこに政策の責任があります。

「外国人」という一括りから離れる

そもそも「外国人」という言葉は広すぎます。

留学生 日本人の配偶者 永住者 技能労働者 経営者 難民申請者

立場も事情もまったく違います。

したがって、「外国人を受け入れるべきか」という大きな問いだけでは、現実を捉えられません。

問うべきなのは、誰をどのような条件で受け入れるのか、どのような権利を保障するのか、どのような義務を求めるのか。そしてルールに違反した場合、どのような手続きで対応するのか、という具体的な問題です。

とりわけ、行政の判断に誤りがあった場合に、本人が異議を申し立て、救済を受けられる仕組みが十分にあるかは重要です。

厳格な制度 + 公正な制度
この両立が実現しているかが重要です。

政府と大学、それぞれに求められる責任

政府には、政策を実施する責任があります。同時に、その政策がなぜ必要なのかを説明する責任もあります。

政府に求められる説明
  • どのような問題が起きているのか
  • なぜ制度変更が必要なのか
  • 誰にどのような負担が生じるのか
  • 不利益を受ける人を救済する仕組みは十分なのか

こうしたことを、感情的な言葉ではなく、具体的な事実と制度の内容によって示す必要があります。

一方、大学や研究者にも責任があります。

政府を批判することは、民主社会において重要な役割です。しかし、「排外主義」「悪意」といった強い言葉を使うのであれば、その判断の根拠を社会に分かる形で示さなければなりません。

また、外国人の権利だけでなく、外国人政策に不安を感じる日本人の声にも耳を傾ける必要があります。

政府と大学は、対立するために存在するのではありません。

政府が見落としている問題を
大学が指摘する
↕
大学が見落としている現実を
政府が示す

その緊張関係は、民主社会にとってむしろ必要なものです。

市民に求められていること

では、私たち市民は今回の声明をどう受け止めればよいのでしょうか。

「政府が悪いという証拠」と考える必要も、「大学が騒いでいるだけ」と無視する必要もありません。

強い抗議が生まれた
↓
社会の中に異なる立場の
不安や不信が蓄積している可能性

政府が外国人政策を厳格化する背景には、国民の不安や不公平感があります。一方、大学が抗議する背景には、外国人や外国にルーツを持つ人々が感じる不安があります。

どちらか一方だけを「正しい」とすれば、もう一方の問題は残ります。

だからこそ市民には、政府の説明も大学の批判も一度受け止め、事実と評価を分けて考える姿勢が求められます。

外国人による問題を見ないふりをする必要はありません。しかし、一部の問題を外国人全体の問題に広げることも避けなければなりません。

まとめ――問われているのは、どのような社会をつくるかです

今回の抗議声明をめぐる問題は、「政府と大学のどちらが正しいか」という二択ではありません。

政府
日本社会の秩序を守り、国民の不安に応える責任
大学
制度によって影響を受ける人々の声を伝え、政策を検証する役割
市民
双方の声を聞き、事実と評価を見極める責任

私たちが考えるべきなのは、外国人に「厳しくするか、優しくするか」ということではありません。

日本人が安心して暮らせる社会であると同時に、
外国人であることだけを理由に
不当に扱われない社会を、どうつくっていくか。

そのためには、秩序も必要です。人権も必要です。そして何より、異なる立場の不安を一方的に切り捨てないことが必要です。

大学から政府への抗議声明は、それ自体が政府の誤りを証明するものではありません。しかし、それほど強い声が上がったという事実は、私たちが立ち止まって考える十分な理由になります。

民主社会に必要なのは、
異論のない社会ではありません。

異論が生まれたとき、その背景にある不安を見つめ、
より公正な答えを探し続けられる社会です。

今回の問題を、そのための一つの機会として受け止めたいと思います。

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