2008年5月16日金曜日

「大学職員サミットやまがたカレッジ2007」レポート

この日記では、これまで地方大学の特筆すべき取組みをいくつかご紹介してきましたが、中でも登場回数の多いのが、山形大学ではないかと思います。

山形大学は、事務職員の能力開発(SD)に関しては、全国的に見ても高い評価を受ける実績を有しており、同じ地方大学の職員としては、とてもいい刺激をいただいています。

さて、既にご案内のとおりですが、山形大学では、平成19年11月10日、11日の2日間、小白川キャンパスを会場に、国公私を問わず全国から大学職員が参加する「大学職員サミットやまがたカレッジ 2007」を開催しました。

サミットの様子は、山形大学のホームページにおいて紹介されていますのでご覧ください。→http://www.yamagata-u.ac.jp/jpn/yu/modules/topics0/article.php?storyid=151&yu_m=1_2


さて、最近、この大学職員サミットを総括する報告書が公表されました。報告書は、182ページに及び、シンポジウム、パネルディスカッション、自慢コンテストなどに参画された方々の執筆文により構成されています。

示唆に富むご意見等がたくさんありましたが、今日は、このうちのわずか4人の方のコメント(抜粋)をご紹介します。(敬称を略させていただきます。)


「大学職員サミット-やまがたカレッジ2007」に寄せて(山形大学長 結城章夫)


平成16年4月の国立大学の法人化は、国立大学にとって、革命的な出来事でした。それまで文部科学省の内部組織であった全国の国立大学は、一斉に独立して、87の国立大学法人に分かれていきました。そして、それぞれの大学法人には、自主・自立の経営を行うことが求められるようになったのです。

この結果、各国立大学においては、事務職員の果たすべき役割が劇的に変化しました。事務職員は、教員との良き関係を築きながら、学長・理事からなる経営陣を支え、大学運営の一翼を担っていかなければなりません。各大学では、全国移動をする幹部職員との適切なバランスをとりながら、プロパー職員を計画的に採用し、育成していくことが必要になってきています。

大学職員の能力を最大限に引き出し、意欲を持って仕事に打ち込める環境を創ることが、大学経営者の重要な責務です。また、大学職員の方も、大学運営に主体的に参画するとの使命感を強めるとともに、自らの専門能力を高める努力が求められているのです。

私は、平成20年の年頭に当たり、これからの山形大学の経営課題と行動計画をとりまとめた「結城プラン2008」を発表いたしました。その中で、山形大学の事務職員に関しては、「選考採用を拡大し、幅広い視野と専門的な能力を備え、使命感と情熱に溢れたプロパー職員集団を育成する。」と明記いたしました。

私は、山形大学が、キラリと光る存在感のある国立大学として発展していくためには、意欲と使命感に燃える優秀なプロパー職員の集団を育て上げていくことが必要不可欠であると確信しています。そのような職員集団を育成するためには、一貫した方針の下で、不断に努力していくことが必要です。これから長い時間がかかることでしょうが、そのための努力を積み重ねていこうとの決意を固めているところです。


事務職員と教員:その対立という幻想を超えて(山形大学地域教育文化学部 小田隆治)


「職員による大学改革への可能性を考える」というシンポジウムのテーマは壮大過ぎます。「職員による」という枕詞を取っても、「大学改革を考える」ことは管理職にとってもかなり厄介なことなのです。極論を言うと、「大学改革」の一般論はもはや無意味な問いかけであり、今は個々の大学のリアリティのある改革しか問題となり得ないのだろうと思われるからです。

私は決して自分の大学に閉じこもることを推奨しているわけではありません。自分の大学の歴史や文化の固有性を発見するためには、他大学を知って相対化する過程がどうしても必要です。この「大学職員サミット」はそれを提供する素晴らしい装置として機能したはずですし、これからもその役割はもっと大きくなっていくことと思います。

社会の激動に伴って、大学も変わっていかざるを得ません。その改革をなすのは、大学の構成員以外にありません。それは教員であり、事務職員であり、学生です。その中で強い使命感を持った有能な人が改革を遂行していくのです。縄張り争いをしている暇はないのです。分野や地位がどうであろうと、大学を助けてくれる人が改革をなすのです。

そうした意味で事務職員には無限の可能性があります。自分が動けない言い訳をしても構いませんが、動く同僚の足をひっぱることだけは止めましょう。改革者は説明責任を果たさなければなりませんが、改革なんていう運動は所詮不可解なことが付きまといます。

新聞には、教員と事務職員の対立構図の話が一番盛り上がったようなことが書かれていましたが、私から見るとこの構図はあまりにもステレオタイプです。ほとんどの事務職員の人間的な軋轢は、対教員ではなく、対上司や同僚、そして部下にあるのです。当たり前ですよね。接している時間が長いのですから。教員と事務職員の対立構図は、幹部事務職員がこれを隠蔽するために使っているのではないかと邪推することすらできます。

教員と事務職員の関係は、夫婦の関係に例えられることがあります(シンポジウムでもフロアーにいた私の友人がそう例えていました)。この例えを踏まえると、戦後から最近まで夫婦関係には古い封建的なしこりが残っていました。それが最近かなり薄らいで、力関係は逆転してきました。教員と事務職員の悪しき関係も封建的な残渣です。もうかなり消えているでしょう。

もちろんまれに時代錯誤の人はいます。ですから、この関係性を権力構造に例えることはそろそろ止めましょう。権力構造に例えると、その転覆しかありません。それはかなりいやらしいことです。教員と事務職員は互いにお互いの能力と領分を認めて信頼してやっていくしか、この難局を乗り切ることはできないのです。


国公私大短専教職学のレゾナンスとディファレンス(前山形大学理事 田村幸男)


結城学長・実行委員長の基調講演を受けて、4人のパネリストと100人近いフロアの参加者により、各大学の実例を含めて、熱く討論が交わされた。以下、その概要を述べる。

パネリストを含めて延べ24人、重複発言を除くと17人が発言した。内訳は、職員13人(国立8、私立5)、教員3人(国立2、私立1)、学生1人(国立)である。「全国移動幹部職員とプロパー職員、教員と職員」、「職員の専門性」、「学生中心の体制」の3点について中心的に議論された。

結城学長講演で、全国の国立大学教職員12万人の内、6万人が教員で6万人が職員、職員の内1000人弱が全国移動の課長級以上幹部、500人がブロック移動幹部で将来的には解消される見込み、その他6万人弱がプロパー職員であることが示された。

これに対して、
  • 問題は人材を得て適任ポストに就けることで、民間からのヘッドハンティングを含め戦略的取組みが必要
  • 他流試合(他機関勤務)は重要
  • 必ずしも全員の視野が広くなる必要はないのではないか
  • 職員も「教える」ことを知ることが必要で、「教員にSD、職員にFD」をするべき
などの意見が出された。

また、教員と職員の関係については、
  1. 教員の(事務職員に対する)「理不尽」は数十年前と変わっていないことの実例
  2. 教員にモノを言うためには職員が力量を高めることが必要 
  3. 教員の「意識」は変わっていない 
  4. 職員の教員に対する優位性は「プロデュースカ」にある 
  5. 教員からみて職員との連携は重要 
  6. 教員には当然ながらいい人もだめな人もいて一概にはいえない 
  7. 国立では「専門性は低いが汎用性は高い」 
などの意見が活発に出された。


次いで、職員の専門性については、
  1. 専門性だけならアウトソーシングされる、+α(ミッション・パッション・アクション)が重要 
  2. 国立は法人化されたが公務員試験の滑り止め感覚の職員が入ってくる。専門性とともに大学への愛情も重要 
  3. 国・私立双方の経験があるが、ずいぶん風土が違い必要な専門性も一律ではない 
  4. 研修を自由参加にしているが、やる気のない人に強制しても効果がないため 
などの意見が出された。


最後に、学生中心の体制作りについては、
  1. 短大で職員も少数、サービス業に徹している 
  2. 大学祭に大半の学生が参加せず職員が裏からサポートせざるを得ない現状 
  3. 学生サービスと甘やかすのは別で、「モンスターステューデント」が生まれている 
  4. (学生だが)やりたいことを見つけるのに3年かかったがサポートはなかった、サービスは求められているものより一歩先を、暖かい対応がほしい 
  5. 男性職員に恐怖感を持つ学生がいる 
  6. 学生対応も高い専門性が必要 
などであった。

傍観するはずが参加者に/大学職員サミットを取材して(朝日新聞社朝日新聞教育グループ 片山健志)


大学職員という存在は、実はいま相当、注目されているのではないかと思っています。すでに語られていることではありますが、「財務系」「外部資金獲得系」「学生支援系」などへの細分化がますます進み、それぞれが専門職として内部的にも外向けにも認知され、あこがれの仕事としてリストアップされることになると思います。

どこの大学が生き残り、どこが消えるのかがまことしやかに語られるいま、「大学の自治」の名の下にあぐらをかいてきた人たちをぜひ土俵に引きずり出し、大学というところが何を目指すべきなのか、根本的な問いかけを職員の皆様にぜひやってもらいたい。