泥水を忘れない心
俳優・森繁久彌さんが、九州公演で『屋根の上のヴァイオリン弾き』を演じていたときのことです。
客席の最前列で、一人の少女がずっとうつむいていました。舞台に集中してくれない――そう感じた森繁さんたちは、少女のそばで演技をするたびに床を強く踏み鳴らし、気を引こうとしました。それでも少女は顔を上げません。
ところがアンコールの幕が上がったとき、少女は初めて顔を上げました。その両目は、閉じられたままでした。
うつむいていたのではなく、彼女は目の見えない人でした。全神経を耳に集め、心の中で舞台の情景を思い描こうとしていたのです。それを「居眠り」と決めつけ、心ない仕打ちをしてしまった――真相を知った森繁さんは、舞台の上で涙を流したといいます。
当時すでに、森繁さんは芸能界に君臨する大御所でした。それほどの人が、たった一人の観客のために、そこまで心を砕こうとしていたということ。そして、自分の思い込みを恥じ、素直に涙を流せたということ。この初々しさ、心の柔らかさこそが、多くの人が年齢とともに失っていくものではないでしょうか。
森繁さんが生前、好んで口ずさんでいたという都々逸があります。
「ボウフラが 人を刺すよな蚊になるまでは
泥水飲み飲み、浮き沈み」
ボウフラは、蚊になるまでの間、泥水の中で浮いたり沈んだりしながら生きています。人も同じで、何かを成し遂げた人ほど、その下積み時代――泥水をすすり、浮いたり沈んだりを繰り返した苦労――を忘れてしまいがちです。しかし、その苦しかった時代を折に触れて思い出せる人だけが、いつまでも初々しく、柔らかい心を保つことができるのです。
どんなに経験を積んでも、人は失敗をします。年を重ねたからといって、人格が完成するわけではありません。年長者の考えが、若者の考えより必ず正しいとは限らない、とも言われます。むしろ、いくつになっても人の痛みがわかる感性――それは、何度も泥水をすすり、天国と地獄のような浮き沈みをくぐり抜けてきた人だけに与えられる特権なのだと思います。
大人になるにつれて、多くの人はその感性を鈍らせてしまいます。「感じない大人」が増えていくのは、そのためかもしれません。
失敗そのものは、誰にでもあります。何度してもいい。けれど、その失敗で誰かを傷つけてしまったなら、初心に返り、心の底から涙を流して詫びるしかありません。
ボウフラが 人を刺すよな蚊になるまでは
泥水飲み飲み 浮き沈み
この言葉を、忘れずに胸に刻んでおきたいと思います。
参考記事: 「悔恨の涙」|人の心に灯をともす

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