「科研費倍増」だけでは、日本の研究力は戻らないかもしれません ― お金・時間・組織の三つの視点から

2026年8月28日、文部科学省は令和9年度(2027年度)予算の概算要求を発表しました。一般会計の要求総額は8兆7750億円で過去最大規模となり、その中で科学研究費助成事業、いわゆる科研費には4552億円が盛り込まれています。これは令和8年度当初予算の2479億円からほぼ倍増となる規模です。あわせて、国立大学法人運営費交付金も1兆2512億円となり、令和8年度当初予算の1兆971億円から1500億円あまり積み増されました。

日本の研究力低下が長年指摘されてきたことを考えれば、これは歓迎すべきニュースに見えます。ただし、ここで一つ、素朴だけれど重要な疑問が浮かびます。研究費を2倍近くに増やせば、日本の研究力も本当に回復するのでしょうか。

この記事では、この問いをきっかけに考えたことを、体系的に整理してお伝えします。

なお、これは概算要求の段階の数字であり、今後の予算編成や国会審議を経て最終的な金額が決まる点にはご留意ください。

1. 「研究力低下」とは、具体的に何を指すのでしょうか

文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)がまとめた「科学技術指標2025」によりますと、2021〜2023年平均の自然科学系論文数で、日本は世界5位でした。一方、論文数という「量」の指標に比べ、他の論文から多く引用されるTop10%・Top1%補正論文数では、それぞれ13位、12位と順位が大きく下がります。

この二つの指標が測っているものは同じではありません。Top10%補正論文数は、あくまで「被引用数が上位10%に入る論文の数」という指標であり、研究そのものの質を直接測っているわけではないという点には注意が必要です。それでも、論文を出す力はあっても、国際的に高く評価される研究では相対的に順位が低いという傾向は見て取れます。

政府もこの状況を問題視しており、2026年3月に閣議決定された第7期科学技術・イノベーション基本計画では、Top10%補正論文数の国際順位を、現在の13位から2035年までに3位へ引き上げるという目標が掲げられています。

かなり野心的な目標です。そして、この目標を「お金さえ増やせば達成できる」と考えるのは、一見自然に思えて、実は危ういのではないかと思います。

2. 見落とされがちな数字 ― 研究時間はこの20年で3分の2に

文部科学省の資料によりますと、大学等の本務教員が職務時間のうち研究活動に使う割合は、2002年度の46.5%から、直近の調査では32.2%まで低下しています。20年前は仕事時間の半分近くを研究に使えていたのに、今は3分の1程度しかない、ということです。

さらに、研究のパフォーマンスを制約する要因として「研究時間」を挙げた研究者の割合は71.7%にのぼります。「研究資金」を挙げた研究者(45.9%)や「研究人材」を挙げた研究者(45.8%)を、大きく上回る数字です。

この数字だけから、「研究費より研究時間のほうが重要だ」と因果関係まで断定することはできません。しかし、少なくとも、資金以上に「時間」を強い制約と感じている研究者が非常に多いことは間違いありません。科研費を2倍にしても、研究者の1日は48時間にはならないのです。

政府自身も第7期基本計画のなかで、この問題を明確に意識しています。具体的には、研究大学において研究時間割合50%以上を実現する、という目標を掲げています。全国平均が32.2%にとどまるなかで、トップ大学だけでなく中位の大学も含めて底上げを図ろうという、かなり野心的な数値目標です。つまり政府も、研究力の問題を「お金だけの問題」だとは考えていません。問われるべきは、この目標を実現する具体策が、科研費倍増ほど注目されず、実効性を伴った形で用意されているかどうかです。

3. なぜ政策は「お金」に偏りがちなのでしょうか

ここが、この問題を考えるうえでの核心の一つだと思います。「時間の確保が大事だ」と昔から言われ続けているのに、なぜ政策は繰り返し予算措置に偏るのでしょうか。

一つの理由は、予算は「見える化」しやすく、時間は「見える化」しにくいという非対称性にあると考えます。

「科研費を4552億円に倍増しました」という説明は、数字一つでわかりやすく伝えられます。政治家にとっても官僚にとっても、成果として語りやすいのです。

一方、「教員一人あたり年間300時間の事務作業を削減しました」という成果は、地味で測定もしにくく、アピールにもなりにくいものです。しかも、予算を増やす政策は、少なくとも「いくら増やすか」という形で政策目標を設定しやすいのに対し、時間を作り出す改革には、

  • 誰が会議をやめるのか
  • 誰が事務作業を引き取るのか
  • どの委員会を廃止するのか
  • どの報告書をなくすのか

といった、組織内部での利害調整が必ず伴います。これは、政治的にも組織的にもコストの高い作業です。「予算をつける」ことに比べて、「仕事を減らす」ことは、はるかに難しいのです。この非対称性こそが、日本の研究政策が繰り返し「お金」に偏る構造的な理由ではないかと思います。

4. 「時間を作る組織」が「時間を奪う組織」になってしまう逆説

では、研究支援職員を増やせば解決するのでしょうか。単純にそうとも言い切れません。

教員の事務作業を支援職員に移す

→ 支援職員が増える

→ その管理・調整のための会議や報告制度が新設される

→ 「研究時間を確保するための組織」自体が、新たな業務と調整コストを生んでしまう

これは、組織改革でしばしば起こり得る逆説であり、警戒すべきパターンだと思います。「人を増やす」ことは、それ自体が問題解決になるとは限りません。「人を増やす」より先に、「仕事そのものを減らす」という順序が重要になります。

5. 政策を三つの層で捉え直してみる

以上を踏まえますと、研究力向上策は、次のような三層構造で設計し直すことが有効ではないかと思います。

1階:基盤的経費

大学に安定的に配分する経費です。研究支援職員、技術職員、URA(リサーチ・アドミニストレーター)、研究設備、事務体制など、研究者が「研究できる状態」そのものを維持するためのインフラを支えます。科研費のような競争的資金とは、役割を分けて考えるべきものです。

2階:研究時間の確保

大学に対して「研究に専念できる時間をどれだけ確保できているか」を明確な目標として課し、会議・事務・報告・委員会を積極的に削減させます。

3階:科研費

1階と2階の土台が整ったうえで、初めて「思い切り研究できる環境」に対して研究費を投じます。

この順序を意識せずに3階だけを先行させると、「研究費は増えたが、それを使う時間がない」というミスマッチが起きてしまいます。今回の科研費倍増をめぐる議論では、どうしてもこの3階の部分が突出して語られがちです。

6. 「研究時間」を目標指標にする際の注意点

「研究時間の割合」を大学評価や予算配分の指標にするという発想自体は、魅力的です。見えにくい「時間」を政策の俎上に乗せる有効な手段になり得ます。

ただし、ここには落とし穴があります。測定対象そのものが目標になった瞬間、その指標が本来の意味を失ってしまう、といった現象が起きやすい領域だからです。

  • 研究時間は多くの場合、教員の自己申告に基づいて集計されます。会議も「研究打ち合わせ」、事務作業も「研究計画の立案」として計上されてしまう余地があります
  • 基盤的経費の配分をこの指標に連動させると、大学は「実際に時間を作る」努力より、「数字上の割合を上げる」努力に資源を割いてしまう可能性があります
  • そもそもNISTEPの研究時間データ自体が教員へのアンケート調査に基づくものであり、精度には一定の限界があります

したがって、指標にするのであれば、自己申告の「時間」ではなく、客観的に測定できる代理指標――会議の件数、報告書のページ数や件数、決裁を通す回数など、業務量そのものの削減――を軸にするべきだと考えます。「時間を増やしたか」ではなく「奪う業務を減らしたか」を測るほうが、数字のごまかしが効きにくく、実効性も高いはずです。

7. 見落とされがちな発生源 ― 事務負担を生んでいるのは大学だけではありません

もう一つ、強調しておきたい点があります。大学が抱える事務負担の中には、大学自身の内部管理だけでなく、国や認証評価機関が大学に課す報告義務、認証評価への対応、コンプライアンス対応などに起因するものもあります。

大学内部の業務改善だけでは、この部分には手が届きません。科研費倍増とセットで取り組むべきなのは、大学内の組織改革だけでなく、国が大学に課している報告・書類作成の義務そのものの棚卸しと削減ではないでしょうか。ここに手をつけない限り、「時間を増やす」議論が大学内部の努力だけに矮小化されてしまう危険があります。

8. 若手研究者にとって、「時間」は死活問題です

研究時間の制約は、すべての研究者に等しく重くのしかかるわけではありません。教授クラスであれば、まだある程度「仕事を断る」裁量があります。しかし若手研究者は、授業・学生指導・委員会・研究費の申請と報告・論文執筆を、多くの場合、任期という時間的制約のなかでこなさなければなりません。業績が出なければ次のポストがない以上、若手にとって研究時間の確保は、文字通りキャリアの死活問題です。

若手研究者に対して、研究費に加えて授業負担や事務負担の軽減をセットで提供する、という制度設計は有効性が高いと考えられます。単に研究費を積み増すよりも、若手の研究力を実際に引き出せる可能性が高いからです。

ただし、これは対症療法にとどまる面もあります。根本にはテニュアトラックポストの不足や任期制という構造的な問題があり、そこが変わらない限り、「時間はあっても腰を据えて研究に取り組めない」という不安定さは残り続けます。待遇の改善と、ポストの安定性は、セットで語られるべきテーマだと思います。

9. 金額以上に重要かもしれない「基金化」

今回の科研費改革では、金額の増加ほど目立ちませんが、科研費の「全面基金化」を目指す方針が盛り込まれている点にも注目したいところです。

科研費には現在、「補助金分」と「基金分」があり、両者が併存しています。基金化された種目では、研究期間全体について複数年度で交付決定され、未使用分は事前の繰越手続きなしで翌年度以降に使えます。研究の進捗に応じた前倒しも、年度をまたぐ物品調達も可能になります。政府の骨太の方針2026や統合イノベーション戦略2026でも、科研費の全面基金化に向けた取り組みを速やかに進め、研究者の事務負担を軽減し研究時間を確保する、という方向性が明記されており、令和9年度概算要求もこの流れに沿ったものです。ただし、これはあくまで「目指す方針」であり、現時点で全ての科研費が基金化されているわけではありません。

これは「研究を会計年度に合わせる」のではなく、「会計を研究の進み方に合わせる」仕組みへの転換であり、「いくら増えるか」という数字以上に、研究現場にとって実質的な意味を持つ改革だと言えます。

10. 増やした予算の効果を、どう確かめるのでしょうか

最後に、科研費を大幅に増額するのであれば、その増額が実際に研究力向上につながったのかを継続的に検証する仕組みも欠かせません。科研費では、研究期間中の実績報告書や実施状況報告書の提出、KAKENでの研究成果の公開、特別推進研究などでの中間評価・事後評価が、既に行われています。「使った後を確認していない」わけではありません。

しかし、倍増という規模の投資を正当化するには、個々の研究の成果確認に加えて、日本全体の研究環境や研究力が実際に改善したかどうかを、継続的に測定する仕組みが必要になります。

まとめ:研究力 = 資金 × 時間 × 環境 という掛け算のようなもの

ここまでの議論を要約しますと、次のようになります。

研究力は、資金・時間・人材・環境が相互に作用する「掛け算」のようなものではないでしょうか。研究費が2倍になっても、研究時間が半分になってしまえば、研究力は単純には増えません。

日本の研究政策が繰り返し「お金」に偏ってきたのは、単なる怠慢ではなく、予算は見える化しやすく、時間は見える化しにくいという構造的な非対称性に起因していると考えます。この非対称性を乗り越えるには、

  1. 基盤的経費・研究時間の確保・競争的資金(科研費)を、三層構造として設計し直すこと
  2. 「研究時間」を政策の指標にする場合は、自己申告ではなく客観的な業務量の指標で測ること
  3. 大学内部の事務削減だけでなく、国が大学に課している報告・評価義務そのものを棚卸しすること
  4. 若手研究者への支援は、待遇改善とポストの安定性をセットで考えること
  5. 基金化のような地味な制度改革を、金額の増減と同じ重みで評価すること

が必要になると思います。

科研費倍増というニュースは、それ自体は歓迎すべき一歩です。しかし、本当に問われているのは、予算を増やせるかどうかだけではありません。増やした予算を、実際に研究力へと変換できる仕組みを作れるかどうかです。「研究費を何億円増やしたか」だけでなく、「研究者が年間何時間、研究に使える時間を増やせたか」も、次の政策評価の物差しに加えるべきではないでしょうか。


参考にした情報

  • 文部科学省「令和9年度文部科学省 概算要求等の発表資料一覧」(2026年8月28日発表) リンク
  • 文部科学省「令和9年度文部科学関係概算要求のポイント」(PDF) リンク
  • 文部科学省 研究振興局「令和9年度科学技術関係概算要求」資料(PDF、全面基金化の記載あり) リンク
  • 国立国会図書館カレントアウェアネス-E「文部科学省、令和9年度の概算要求等の発表資料一覧を公表」 リンク
  • 国立国会図書館カレントアウェアネス-E「『第7期科学技術・イノベーション基本計画』が閣議決定」 リンク
  • 財務省「財務省所管令和9年度概算要求をとりまとめました」(2026年8月28日) リンク
  • 産経新聞「文科省の令和9年度概算要求、過去最大の8兆7000億円超 国立大補助金も法人化以降最大」(Yahoo!ニュース) リンク
  • 読売新聞オンライン「文科省の来年度概算要求、科研費を倍増要求へ…国際共同研究や若手研究者支援など拡充」(2026年8月23日) リンク
  • ニュースイッチ「教員の研究時間50%以上確保…文科省有識者会議、科学再興へまとめた提言の全容」 リンク
  • 文部科学省「科学の再興」に関する有識者会議「科学の再興に向けて 提言」(令和7年11月18日、第7期基本計画関連、研究時間割合50%以上の研究大学20大学以上の目標を含む) リンク
  • 文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)「科学技術指標2025」 リンク
  • 文部科学省「研究者育成に関する参考資料」(令和7年4月、科学技術・学術審議会人材委員会資料) リンク
  • 日本学術振興会「科研費ハンドブック2026年度版」 リンク
  • 日本学術振興会「科研費の『基金化』」制度概要ページ リンク

なお、金額・目標数値は令和9年度予算の概算要求段階、および第7期基本計画関連資料に基づくものであり、今後の予算編成・国会審議・施策の具体化を経て変わり得る点にご留意ください。

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