大学は減らされるのか ――「見捨てる」のではなく、「変わる大学を後押しする」政策へ

この記事で言いたいこと

大学を一律に減らすのではなく、改革する大学には支援を増やし、単独での存続が難しい大学には連携・統合・縮小・撤退という選択肢を用意する。そのうえで、大学に義務づけられている7年ごとの認証評価を、次の7年間の改革につなげる仕組みを考えてみたいと思います。

そもそも、大学は本当に「減らされる」のか

「少子化で大学が減る」という話を聞くと、政府が一律に大学を閉鎖させようとしているようなイメージを持つ人もいるかもしれません。しかし実際の政策はそう単純ではありません。

文部科学省が示している方向性は、大きく分けると「チャレンジ」「連携・統合」「縮小・撤退」という三つです。

つまり「全部残す」でも「全部減らす」でもなく、それぞれの大学の状況に応じて違う道を選んでもらう、という考え方です。

背景にあるのは厳しい人口の見通しです。大学進学者数は2021年の約62.7万人から、2035年には約59万人、2040年には約46万人にまで減ると推計されています。20年足らずで3割近く減る計算です。何も変えなければ、将来的には大学全体の定員充足率が7割程度まで落ち込むという試算も出ています。これだけの変化が見えている以上、大学が変わっていくこと自体は避けようのない現実だと言えます。

「学生が減った大学=ダメな大学」ではない

ここは誤解されやすいところです。ある大学の定員充足率が7割だったとして、それだけを見て「不要な大学だ」と判断するのは危険です。

地方には、医療・福祉・教育・農業など、地域を支える人材を送り出している大学があります。市場原理だけに任せて地方から高等教育機関が消えれば、若者の都市部流出や、地元企業の人手不足につながりかねません。文科省もこの点を懸念として挙げています。

つまり見るべきなのは「定員割れしているかどうか」ではなく、「その大学に社会的な役割があるか」「その役割を果たせる形に、自ら変わっていけるか」という点なのです。

経営の危うさは「学生数」だけでは測れない

大学の経営状態というと、つい定員充足率にばかり目が行きがちですが、本当に見るべきはもっと多面的です。授業料収入、人件費、教育研究費、施設の維持費、借入金、手元資金、学部ごとの採算、退学率、就職や進学の実績――こうしたものを総合して初めて実態が見えてきます。

極端に言えば、定員充足率が8割でも財務体力が十分な大学と、9割でも赤字とキャッシュ減少が続いている大学とでは、危険度がまったく違います。少なくとも「学生数」と「財務」という二つの軸で見る必要があり、この両方が悪化している大学こそが最も危険だと言えるでしょう。逆に学生数が少なくても、資産や教育上の強みがあり、身の丈に合った経営に組み直せるなら、必ずしも危ない大学とは限りません。

「定員を減らせばいい」わけでもない

改革というと「もっと学生を集めよう」という発想になりがちです。大学進学率の上昇などによって学生数が増える余地はあるものの、18歳人口そのものが減っていく以上、日本全体の学生数には大きな縮小圧力がかかります。その中で、すべての大学が同時に募集を増やし続けることはできません。必要なのは、学生数が減っても持続できる経営への転換です。

では定員を減らせばいいかというと、それも違います。たとえば定員1000人に対し入学者が700人の大学が、定員を700人に減らせば、数字の上では充足率100%になります。しかし入る学費は700人分のままです。定員削減は「数字合わせ」ではなく、学部の再編、教職員配置の見直し、施設の集約、他大学との設備共有など、大学全体を身の丈に合わせて作り直す取り組みとセットでなければ意味がありません。

改革を阻む最大の壁は「人」

数字の問題以上に厄介なのが、組織の中の抵抗です。学科を統合しようとすれば「この学科は残したい」という声が上がり、教員を減らせば「教育の質が落ちる」という懸念が出て、職員の配置を変えれば「自分の仕事がなくなるのでは」という不安が生まれます。これは「反対する人が悪い」という単純な話ではなく、改革が雇用や研究環境、権限、業務量に直接影響するために当然起きることです。

「罰」だけでは大学は動かない

現在の政策には、いわば「ムチ」の仕組みがすでにあります。定員未充足などの状況に応じて私学助成を減額したり、不交付にしたりする制度です。2026年度からは経営悪化の兆候がある学校法人を早期からモニタリングし、経営指導の対象を従来の約42法人から100法人程度にまで拡大する方針も示されています。

これは必要な仕組みです。しかし「改革しなければお金を減らす」という制度だけでは、大学はどうしても守りの姿勢に入ってしまいます。ここで発想を転換し、「改革したらお金を増やす」という方向をもっと強めてはどうか、というのが今回の提案の核です。

実はこの方向性自体はすでに存在していて、「私立大学等改革総合支援事業」では、教育の質向上や地域連携、産業界との連携などに取り組む大学を重点的に支援しています。ただし、そこには一つの課題があります。

現在の改革支援に足りないもの

改革支援には、大学間の競争的な側面があります。大規模大学はIR担当者やDX担当者、企画部門、補助金申請に強い職員などを抱えていますが、小規模大学では一人の職員が何役も兼ねていることも珍しくありません。そのため、大学の規模や事務体制によって、制度に対応できる力に差が生じる可能性があります。

さらに、根本的な問題がもう一つあります。

「私立大学等改革総合支援事業」は、大学側が調査票への回答など、一定の選定プロセスに対応することを前提とした制度です。つまり制度上は、「改革への意思や体制があり、調査・選定プロセスに対応できる大学」が参加しやすい仕組みになっていると考えられます。

これは、本当に支援が必要な大学ほど制度から取り残されるという、皮肉な結果を招きかねません。大学の規模や事務体制による格差の問題に加えて、「そもそも選定プロセスに対応できる体制があるかどうか」という意欲・体力の格差が、この制度のもう一つの限界として存在しているのです。

だからこそ、改革の仕組みを選定ベースの制度だけに頼るのではなく、全大学に義務づけられている認証評価を起点に組み立て直す意味があると思います。認証評価であれば、改革に消極的な大学も、必要性に気づいていない大学も、7年に一度は必ずそのサイクルに乗ることになります。これは、選ばれた大学だけを支援する制度から、すべての大学を巻き込む制度への転換でもあります。

提案:大学ごとの「伸びしろ」を評価する「改革枠」

そこで、既存の競争型支援とは別に、「改革枠」という仕組みを設けてはどうかと考えます。ここでは大学同士を比較するのではなく、その大学自身が、過去と比べてどれだけ改善したかを評価します。

たとえば定員充足率70%・経常赤字・退学率8%だった大学が、7年かけて充足率85%・収支均衡・退学率5%まで改善したとします。この大学を「100%達成していないからダメ」と見るのではなく、「置かれた条件の中で大きな改革を成し遂げた」として評価する。これが絶対評価型の改革枠です。

評価項目は、経常収支やキャッシュフローの改善といった経営面、退学率や卒業率、学修成果といった教育面、学部再編や事務のDXといった組織改革、地域人材の育成といった社会的役割、そして定員や学部の適正化といった規模の見直しまで、幅広く設定できます。大切なのは「学生をたくさん集めた大学」だけを評価しないことです。

さらに一歩進めるなら、改革の「難易度」も考慮すべきでしょう。パンフレットを新しくするような改革と、赤字学部を廃止して教員配置を組み直すような改革を、同じ重みで評価する必要はありません。

この仕組みの中心に「認証評価」を据える

ここで注目したいのが、大学に義務づけられている「認証評価」です。大学は学校教育法に基づき、文部科学大臣の認証を受けた評価機関による第三者評価を、原則7年以内ごとに受けなければなりません。本来は教育研究や組織運営、施設設備などの状況を確認し、社会に質を保証しつつ大学自身の改善を促す制度です。

ところが大学の現場から見ると、この評価への対応は非常に重い負担です。資料を集め、自己点検を行い、各部署が対応に追われる。それだけの労力をかけても、「認証を受けて終わり」という感覚が残りがちです。

なお、ここから先の「認証評価を7年間の改革サイクルとして使う」という仕組みは、現行制度としてすでに存在するものではありません。あくまで、これまでの制度上の課題を踏まえた、私自身の提案です。そこで、認証評価そのものの性格を変えるのではなく、認証評価と改革支援を連動させるという発想を提案したいと思います。

具体的には、こんな7年サイクルです。

  1. 1年目:認証評価を受けると同時に、大学が今後7年間の改革目標を設定する
  2. 2〜6年目:改革を実行し、毎年簡易的に進捗を確認する
  3. 7年目:次の認証評価で、7年間の改善を確認する
  4. その結果:目標を達成した大学には「改革成果還元枠」として追加支援を行う

これなら認証評価は「7年に一度の試験」で終わらず、大学にとっての経営改革の起点になります。

認証は「スタートライン」、成果は「ボーナス」

ただしここで注意が必要です。認証評価そのものを「良い大学にお金を出す」仕組みにしてしまうと、本来の目的である質保証が歪んでしまいます。ですから、

  • 認証評価=大学として最低限の質が確保されているかを見るもの
  • 改革成果評価=そこからどれだけ改善したかを見るもの

とはっきり分けることが大切です。認証はスタートライン、改革成果はボーナス、という位置づけです。評価は大学間の順位ではなく、あくまで各大学が自ら設定した目標にどこまで到達したかという絶対評価で行います。

もちろん、「改革ごっこ」――委員会だけ作る、KPIだけ整える、DXという名前だけ付ける、といった形式だけの対応――を評価してしまっては意味がありません。だからこそ、成果は第三者による検証を経る必要があり、そこで認証評価との連携が生きてきます。

お金が増えることの本当の意味

なぜ「改革したら支援を増やす」ことがそれほど重要なのでしょうか。大学改革には必ず痛みが伴うからです。学部を統合すれば反対が出る、定員を減らせば収入が減る、教職員を再配置すれば不安が広がる、建物を閉鎖すれば地域から反発される。「改革してください」と言うだけでは、こうした痛みを乗り越える動機になりません。

しかし「大変な改革をやり遂げれば、その成果に応じて国が支援する」となれば話は変わります。これは単なる補助金ではなく、改革に伴う政治的・組織的なコストを国が一部肩代わりする仕組みだと考えられます。

改革できない大学には、別の道を

すべての大学に「頑張れば必ず立て直せる」と言う必要はありません。単独での存続が難しい大学も当然出てきます。その場合には、他大学との連携や統合、学部単位の再編、募集停止、段階的な撤退といった道を用意すべきです。文科省の政策もこうした選択肢をすでに明確に位置づけています。

大切なのは「撤退=失敗」と捉えないことです。経営体力が残っているうちに撤退を決断し、学生を守り、教職員の処遇を整理し、地域の教育機能を別の大学に引き継げるなら、それも立派な経営判断と言えます。むしろ一番困るのは、「まだ大丈夫」と言い続けて資金が尽きるまで何もしない大学です。そうなれば学生も教職員も守れず、地域や取引先にも影響が及び、国や自治体による対応が必要になる可能性もあります。

国の役割は大学を永遠に救うことではなく、大学がまだ改革できる体力を持っているうちに改革を促し、単独では難しい場合には統合や縮小・撤退を早めに支援することだと思います。

「ムチ」と「アメ」を組み合わせる

ここまでを整理すると、理想の大学政策はこんな構造になるのではないでしょうか。健全で積極的に改革している大学には大きく支援し、健全だが改革が必要な大学には改革支援を行い、経営悪化の兆候がある大学は早期にモニタリングし、課題が大きい大学には改革計画を求める。改革に成功すれば助成を重点化し、改革の進捗が十分であれば経営指導を終了し、進捗が不十分であれば指導を継続する。単独再生が難しければ統合・縮小を支援し、再生困難なら円滑な撤退を支援する。つまり「罰する制度」だけでなく「成功したら報いる制度」を同時に持つことが重要です。

私は、「チャレンジ」「連携・統合」「縮小・撤退」という3方向の提示や、経営指導対象法人の拡大といった現在の政策の動きを、「すべての大学を今のまま維持する政策」から「大学自身が将来に合わせて姿を変えることを促す政策」への転換だと捉えています。

政府もすでに、似た方向を検討している

これは偶然ではないと思います。文科省自身が現在、「大学ごとに異なる役割を踏まえて教育の質を評価し、その結果を私学助成を含む資源配分に活用する」という方向を検討しています。同じ資料の中では、大学によって社会的役割や養成する人材像が異なるため一律に扱うべきではない、という考え方も示されています。

これはまさに、本稿で述べてきた「大学同士を単純比較するのではなく、それぞれの役割と改善を見る」という考え方と非常に相性がよいものです。財政制度等審議会からは、私立大学の認証評価を「教育の質」「学生への付加価値」「地域・社会で求められる人材育成」といった観点から見直し、その結果を私学助成のメリハリに使うべきだという提案が出ています。一方、文科省も、認証評価を見直し、新たな評価結果を私学助成を含む資源配分に活用することを検討しています。つまり、「認証評価と改革成果への財政的インセンティブを結びつける」という私の提案には、現在進められている政策議論と重なる部分があります。

ただし、認証評価と補助金の審査を完全に一体化してしまうと、「補助金をもらうために認証評価を受ける」という本末転倒な事態になりかねません。認証評価機関自身が補助金を配るのではなく、その結果を国側の資源配分の判断材料として活用する、という一定の距離感が望ましいでしょう。

目指すのは「大学を減らす」ことではない

ここまで考えてきて見えてくるのは、大学改革の本当の目的は大学の数を減らすことではなく、人口が減っても日本の高等教育の質とアクセスを維持することだという点です。そのためには、強い大学はさらに強くし、改革できる大学は支援し、地域に必要な大学は役割を明確にし、連携できるところは連携し、統合できるところは統合し、どうしても難しい大学は早めに撤退を支援する――そうした多様な選択肢が必要になります。

大学だからといって一律に扱うのではなく、研究大学と地域人材育成大学、都市部の大規模大学と地方の小規模大学、それぞれの機能と、その機能をどれだけ改善できたかを見ていく。これは現在の高等教育政策が掲げる「質・規模・アクセス」という考え方とも重なります。

「改革する大学が得をする」文化を作る

最後に、ここまで考えてきて感じたのは、大学改革に本当に必要なのは制度そのものよりも「組織文化の変化」かもしれない、ということです。改革すれば仕事が増え、反対され、予算が減るかもしれない――そんな環境では改革は進みません。逆に、改革すれば評価され、支援が増え、難しい改革を成し遂げれば大学の評価が上がる――そんな環境なら、改革を進める人が報われます。

改革する人が損をする制度から、改革する人が得をする制度へ。これが、これからの大学政策に求められる転換ではないでしょうか。

おわりに――「大学を守る」のではなく「高等教育を守る」

少子化が進めば、大学の数や規模が今のままではいられないことは、おそらく避けられません。しかし、大学が減ることが即、教育の質の低下につながるとは限りません。重要なのは大学の数ではなく、必要な教育機会が必要な地域に残り、必要な人材を育てられることです。

国が守るべきものは「今ある学校法人をすべて守ること」ではなく、日本の高等教育そのものだと思います。そのためには「定員割れしたから減らす」「赤字だから助成金を減らす」という単純な政策だけでは足りません。改革する大学には改革した分だけ報い、改革しても単独では難しい大学には統合・縮小・撤退を支援する。その中心に、7年に一度の認証評価を「7年間の改革サイクル」として位置づける。

これが実現すれば、認証評価は単なる事務作業ではなく、大学にとって「次の7年間でこれだけ良くする」という経営・教育改革の起点になります。そして7年後、大学は「これだけ改革しました」と社会に示し、国はその成果を評価して次の改革を支援する――そんな循環が生まれれば、大学改革は単なる「淘汰」の議論ではなく、人口減少時代に日本の高等教育を作り直すための前向きな政策になり得るのではないでしょうか。


参考資料・エビデンス

なお、本稿中の「改革枠」「改革成果還元」「7年間の改革サイクル」などの制度案は、これらの公的資料を踏まえた提案・考察であり、現在実施されている制度そのものではありません。

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