人間を戦争から解き放つことはできるのか——90年前の往復書簡が問うもの

「終戦の日」が来るたびに、私たちは「もう二度と戦争を繰り返さない」という誓いを新たにします。ところが今、世界では第二次世界大戦後もっとも多い、およそ60もの武力紛争が同時進行しているといわれています。ウクライナでは侵攻が4年目に入り、中東でも緊張が続く。ニュースを見るたびに、「結局、人類は戦争をやめられない生き物なのか」という重い疑問が頭をよぎります。

この疑問に、90年以上も前、世界的な知性が正面から挑んだことがありました。それが今回考えてみたい話です。

二人の天才に託された、あまりに大きすぎる問い

1932年、第一次世界大戦の反省から生まれた国際連盟が、ある物理学者に頼みごとをします。

「いまの人類にとって一番大事なテーマについて、一番語り合いたい相手と手紙をやりとりしてほしい」

依頼されたのは、相対性理論で知られるアインシュタイン。彼が選んだ相手は、こころの仕組みを研究する精神分析の創始者、フロイトでした。物理学者と心理学者。畑違いの二人が向き合ったテーマは、

「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか」

というものでした。くびき、とは牛や馬の首にはめて荷車を引かせる横木のこと。つまりアインシュタインは、「戦争は人間にとって、逃れられない“宿命”のようなものなのか」と問うたのです。当時は世界恐慌の真っただ中、ドイツではナチスが台頭し、日本は満州事変を起こしていました。世界に再び戦争の足音が近づいていた、まさにそのタイミングでの往復書簡でした。

アインシュタインの答え:「ルールを守らせる仕組みがない」

物理学者らしく、アインシュタインはまず「制度」の欠陥に目を向けます。

考えてみれば、私たちが暮らす社会の中で殺人や強盗が起きにくいのは、警察や裁判所という「違反したら罰せられる仕組み」があるからです。ところが国と国との関係には、そうした「世界の警察」にあたるものが存在しません。当時できたばかりの国際連盟も、各国に強制力を持たせるにはあまりに弱い存在でした。

さらにアインシュタインは、もう一つの厄介な事実を指摘します。それは、権力者が「これは正義の戦いだ」と言えば、多くの市民は疑うことなくそれを信じ、「大切な家族や国を守るための戦争だ」と思い込んで支持してしまうということです。そして、それを可能にしているのは、人間の心の奥に眠る「敵を憎み、暴力に訴えたくなる」性質そのものではないか——と。

つまりアインシュタインの答えを要約すると、こうなります。「戦争を防ぐルールがそもそも弱く、しかも人間の心には、そのルールの不在につけこまれやすい弱さがある」

フロイトの答え:心の中の「二つの衝動」が結びつくとき

これに対しフロイトは、心理学者らしい、もっと踏み込んだ分析を返します。

彼はまず、国家間の関係を人間社会と対比させます。私たちの社会に秩序があるのは「権力」があるからです。しかし国際社会には、国々を上から統制する権力がありません。だから力のある国が、自分の意思で武力を使おうとしてしまう。加えて「自分の国を愛する気持ち(ナショナリズム)」が強まれば強まるほど、逆説的に国どうしの関係はぎすぎすし、世界全体が不安定になっていく、とフロイトは見ました。

ここからが、心理学者フロイトならではの核心部分です。彼によれば、人間の心には二つの衝動が、表と裏のようにセットで存在しています。

  • 欲求する衝動……何かを「手に入れたい」という気持ち
  • 破壊する衝動……何かを「壊したい」という気持ち

権力者にとっては、「他国の土地や資源を手に入れたい」という欲求と、「邪魔な相手を叩き潰したい」という破壊衝動が結びついたとき、戦争という選択に至ります。

そして厄介なことに、これは権力者だけの話ではありません。普通の市民のレベルでも、「自分の命や財産を守りたい」という欲求と、「自分たちを脅かす敵を許せない、滅ぼしたい」という衝動が一体になったとき、人は残虐な行為にすら手を貸してしまう。歴史上繰り返されてきた戦争での残虐行為の背景には、この“ごく普通の人の心の中の力学”があるのだ、とフロイトは説明しました。

つまり戦争とは、一部の悪い権力者だけが起こすものではなく、私たち一人ひとりの心の中にある「守りたい」という気持ちと「憎みたい」という気持ちが結びついたときに、誰もが加担しうるものだという、かなり厳しい指摘なのです。

それでもフロイトが示した、一つの道筋

暗い分析の末に、フロイトはひとつの結論にたどり着きます。人間社会から本当の意味で戦争をなくすには、一人ひとりが「文化的に成熟」し、「自分の国だから」ではなく「同じ人間だから」という感覚——国境を越えた連帯意識——を持てるようになること。そして、誰の命であっても、誰の尊厳であっても奪う「戦争そのもの」を、理屈抜きに嫌い、拒む「平和主義者」に、一人ひとりがなっていくこと。

理想論と言ってしまえばそれまでかもしれません。でも90年前、二人の知性が出した答えは、法律や条約といった「外側の仕組み」だけでは戦争を防ぎきれず、最後は一人ひとりの内側の意識が変わるしかない、というものだったのです。

皮肉な結末——理性の人でさえ、戦争に巻き込まれた

この対話は当時大きな注目を集めましたが、間もなく世界は第二次世界大戦へと突入します。ユダヤ系だった二人はナチスの迫害を逃れて亡命を余儀なくされました。そしてアインシュタイン自身、ナチス・ドイツに対抗するためという理由で、アメリカ大統領に原爆の開発を進言することになります。しかし実際に広島と長崎に原爆が落とされたあと、彼はそのことを生涯悔やみ続けたと伝えられています。

戦争を理性で語った本人でさえ、時代のうねりの中では、戦争に加担する側に回ってしまう。この結末そのものが、「人間を戦争から解き放つ」ことの難しさを何より雄弁に物語っています。

なぜ、90年前の手紙が「いま」読み返されているのか

この往復書簡が近年あらためて注目されているのは、そこで語られた構造が、驚くほど今の世界と重なって見えるからです。

第二次世界大戦後、「二度と戦争を起こさせない」ためにつくられたはずの国連は、いま安保理常任理事国どうしの思惑によって身動きが取れなくなっています。「国際的なルールを守らせる仕組みの弱さ」という、アインシュタインが90年前に見抜いた課題は、形を変えて今も残っているのです。

そして、ある国が隣国の領土を求め、別の大国が他国の資源に目を向け、それぞれ武力に訴えたりちらつかせたりする姿には、フロイトの言う「欲求する衝動」と「破壊する衝動」が結びついた権力者の心理が、そのまま重なって見えます。

さらに見過ごせないのは、それぞれの国の市民自身が、その戦争を「正しい戦い」だと信じて支持してきたという事実です。これはまさに、アインシュタインが指摘した「ごく普通の人の心にも攻撃性は眠っている」という警告が、いまも的中していることを意味します。

それでも見える、かすかな希望の光

ただし、今の世界には90年前にはなかった要素もあります。

まず、圧倒的な軍事力を持つ大国でさえ、力任せの戦争では相手を屈服させきれず、秩序や安定、ましてや平和をもたらせていないという現実を、私たちは目の当たりにしています。「力には力を」という単純な理屈が、実際にはうまく機能していないことが、いや応なく可視化されてきているのです。

また、一つの地域の戦争が、あっという間に世界中の経済や暮らしに影響を及ぼす時代になりました。「遠い国の戦争は自分には関係ない」とは、もう誰も言えなくなっています。

そしてSNSの発達によって、戦意をあおる情報が飛び交う一方で、戦場の凄惨さや、何の罪もない市民が真っ先に犠牲になる現実もまた、以前よりずっと身近に、生々しく伝わるようになりました。

かつての「人道主義だから戦争はいけない」という抽象的な理念にとどまらず、こうした21世紀ならではの現実に基づいた「戦争への嫌悪」が、少しずつ社会に根を張りつつあるようにも見えます。それは、フロイトが夢見た「誰もが戦争を拒む土壌」が、時間をかけて、今なお形づくられている途中なのかもしれません。


現代に生きる私たちへ——三つの問い

90年前、二人の知性は「人間を戦争から解き放つことはできるのか」という問いに、明確な答えを出せませんでした。制度を整えても、人間の心の中にある衝動が残る限り、戦争の芽は消えない——それが彼らの、いくぶん苦い結論でした。

けれど、この対話が私たちに教えてくれることが一つあります。それは、戦争は「向こう側の権力者だけが起こすもの」ではなく、「それを正しいと信じて支持する、こちら側の市民の心」もまた、その一部を担っているということです。だとすれば、私たち一人ひとりに問われていることも、決して小さくありません。

自分が「これは仕方のない戦いだ」「正義の戦争だ」と感じるとき、その感情の裏に、フロイトの言う「守りたい」気持ちと「憎みたい」気持ちが結びついてはいないか、一度立ち止まって考えられているだろうか。

SNSやニュースで流れてくる情報の中で、自分の中の「敵意」や「憎しみ」が煽られていないか、自覚できているだろうか。

「遠い国の戦争」ではなく「自分たちの暮らしにもつながっている問題」として、日々のニュースを見られているだろうか。

戦争をなくす制度や仕組みをつくるのは、政治家や国際機関の仕事かもしれません。けれど、その戦争を「正しい」と信じて後押しするのか、それとも理由の如何を問わず拒み続けるのか——その選択は、90年前も今も、結局は私たち一人ひとりの心の中にあるのです。

「人間を戦争から解き放つことはできるのか」。この問いに、まだ誰も完全な答えを出せていません。だからこそ、答えを探し続けること自体が、今を生きる私たちに託された宿題なのだと思います。


出典:「なぜ戦争をするのか “知の巨人”たちの戦争論」時論公論(NHK)
https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20260817de44501

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