「選ばれない国」でいいのか ― 永住許可厳格化に思うこと

先日、出入国在留管理庁が永住許可のガイドライン改定案を発表しました。ニュースで見かけた方も多いと思いますが、内容を知れば知るほど「これでいいのか」と感じます。

何が変わろうとしているのか

今回の改定案は、永住許可を得るための「経済的な条件」を大きく引き上げるものです。具体的には、

  • 年収が「日本人世帯の平均」を上回っていること
  • 将来受け取る年金の見込み額が、厚生年金に30年加入した水準に達していること

一見「きちんと自立している人に永住を認める」という筋の通った話に聞こえるかもしれません。でも、少し立ち止まって考えてみてください。

日本人世帯の平均年収は約575万円。これは全世帯の中央値よりもかなり高い水準で、実は日本人世帯の6割がこの平均を下回っています。つまり「平均以上」というハードルは、日本人の感覚からしても相当高いのです。

しかも、外国人の方が多く働いている製造業、農業、建設業、介護といった分野は、どこも深刻な人手不足でありながら、賃金水準はお世辞にも高いとは言えません。まさに今、日本社会を底から支えてくれている人たちほど、この新しい基準では永住が遠のいてしまう。そんな制度設計になっています。

「税金のただ乗り」ではない

厳格化の理由としてよく語られるのが、「生活保護など公的負担を減らすため」という説明です。しかし実際のデータを見ると、生活保護世帯のうち世帯主が外国人である割合は3%程度。これは日本の総人口に占める外国人の割合とほぼ変わりません。特別に外国人が公的支援に依存しているという事実は、数字の上では確認できないのです。

法律が求めている以上のことを、行政の裁量で

もう一つ見過ごせないのが、これは法律上の要求を超えているという点です。入管難民法が永住許可の経済的要件として定めているのは「独立の生計を営める資産または技能」があること、それだけです。年収や年金額といった具体的な数値基準は、法律ではなく行政の裁量、つまりガイドラインというかたちで、法律の想定を超えて後から積み増しされようとしています。これは私たち市民にとっても、行政がどこまで法律の枠を超えて物事を決めてよいのか、という民主主義の根幹に関わる問題でもあります。

「選ばれる国」であり続けられるか

日本の人口はすでに1億2千万人を割り込み、少子高齢化に歯止めがかかりません。外国から来て日本で働き、暮らし、税金を納め、地域を支えてくれる人たちがいなければ、私たちの生活そのものが立ち行かなくなりつつあります。

そんな中で、「一生懸命働いても、この国では将来設計すら描けない」というメッセージを発してしまえば、優秀な人材ほど日本を選ばなくなるのは当然のことです。住宅ローンも組めない、老後の見通しも立たない。そんな国で骨をうずめようと思う人が、果たしてどれだけいるでしょうか。

共生とは、都合よく働いてもらうことではない

「外国人との共生社会」を掲げるのであれば、その前提には日本人との平等な扱いがあるはずです。労働力としては歓迎しながら、いざ生活の安定や将来の支援が必要な場面になると「対象外」とする。それは共生ではなく、都合のいい搾取に近いのではないでしょうか。

この改定案は、来年4月の申請分から適用される見通しだといいます。まだ議論の余地はあります。声を上げることには意味があります。

私たちが目指すべきは、外国人を「管理し、選別する」社会ではなく、共に働き、共に生活し、共に高齢化した社会を支えていく「共生社会」のはずです。この改定案には、明確に反対します。


出典:〈社説〉永住許可厳格化 「選ばれぬ国」促す愚策|東京新聞デジタル

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