誰が決めているのか① 政治家という「関門」
政治家を選んでいるつもりで、実は選ばされている。
こんにちは。今日から、「日本の政治は、結局のところ誰が動かしているのか」という問いを、何回かに分けてじっくり考えていきたいと思います。
国会でも地方議会でも、「政治家の質が落ちている」「不祥事が絶えない」という声をよく耳にします。ただ、こうした指摘を聞くたびに、私はいつも一歩手前のところが気になってしまいます。
そもそも、どのような人間が政治家になれるのでしょうか。
やる気があり、政策を勉強する意欲があり、社会を良くしたいという志があっても、資産や地元での知名度、後ろ盾となる組織がなければ、政治の世界に足を踏み入れること自体が難しい。
もちろん、私たちは最終的には選挙で候補者を選んでいます。その意味で、投票の主導権は間違いなく有権者にあります。ただ、その手前に、「そもそも誰が候補者として選挙に出られるのか」という、もう一段手前の選抜があります。私たちは、「誰が良い政治家か」を論じるよりずっと手前で、この入口の選抜をすでに通り抜けてきた人たちの中からしか、選ぶことができません。この構造を素通りしたまま「政治家の質」だけを論じても、議論は宙に浮いてしまいます。
このシリーズでは、①政治家になれるのは誰か、②選ばれた政治家は政策を決める力を持っているか、③政治にお金がかかる構造をどう変えるか、④地方議会は政治家を鍛える場になっているか、⑤私たち有権者は政治家をどう見るべきか、という一連の流れを、ひとつながりの循環として見ていきます。今回はその出発点、「入口」の話です。
政治にお金がかかるのは、事実です
政治にはお金がかかります。これは動かしがたい事実であり、「お金を使わない政治」を目指せばよいという単純な話ではありません。選挙活動そのものだけでなく、政策を調べるための調査費、スタッフの人件費、事務所の維持費、広報、地域での日々の活動──政治を「続けていく」ためだけでも、相応の費用がかかり続けます。
ここで問題にすべきなのは、「政治にお金がかかること」そのものではありません。資産や資金の余裕の有無が、政治家になれるかどうかという入口そのものを左右してしまうことが問題なのです。
40代の会社員を思い浮かべてみてください。家族があり、住宅ローンがあり、年収は700万円ほど。政治への関心は強く、政策の勉強も怠らない。しかし、いざ政治家を目指そうとすれば、仕事を辞め、地元で一から人脈を築き、支援者を集め、事務所を構え、スタッフを雇い、選挙戦を戦い抜かなければなりません。そして落選すれば、元の仕事に戻れる保証はどこにもない。
政治家になる障壁には、資金、知名度、組織、政党の公認、地盤、家族の理解、仕事との両立など、いくつもの要素が絡み合っています。そのなかでも見落とされがちな大きな障壁が、供託金や選挙費用そのものというより、「政治家を目指している間の生活費」と「敗れたときのキャリア上のリスク」です。供託金をいくらか引き下げたところで、この部分は変わりません。
(供託金......立候補時に法務局などに預けるお金のこと。一定の得票に届かないと没収されます。)
「地盤・看板・カバン」という、日本政治の古い方程式
日本の政治には昔から、「地盤・看板・カバン」という言葉があります。地盤とは地元の後援組織、看板とは知名度や家系、カバンとは資金力を指す、政界の隠語です。この三つを最初から持っている人と、持たずに一から積み上げなければならない人との間には、政治家としての能力が試される前の段階で、すでに決定的な差が生まれています。
これを、少し理屈っぽく言い換えるなら、政治にも一種の「資本」があるということです。ただしそれは、預金のように誰でも公平にアクセスできる資本ではありません。むしろ、土地の相続に似ています。もともと持っている家に有利に働き、持たない者はゼロから土地を切り拓かなければならない。世襲議員が一定数存在し続ける背景には、個々の家系の能力だけではなく、この政治的な資本が世代を超えて蓄積されやすい構造があると考えるべきでしょう。
つまり、有権者が政治家の能力を比較し、選ぶ場は、実は最初から公平な競争の場ではありません。参加できる人がすでに絞り込まれた、いびつな市場なのです。
人材の層が、静かに偏っていく
こうした状況が続けば、政治家になりやすい人の顔ぶれは、自然と偏っていきます。「落選したら生活が立ち行かない」「家族を養えない」という不安を抱える人は、能力や志があっても、最初から挑戦をあきらめてしまうからです。
その結果、政治の世界に入ってくるのは、「政治家になりたい人」というより、「政治家になっても生活を維持できる人」へと静かに絞り込まれていきます。これは、一部の不心得者の問題ではなく、構造がそういう人選を自動的に行ってしまう、という話です。
ここで、もう一段掘り下げて考えてみましょう。供託金の見直しや、新人が挑戦しやすい制度を整えること自体は、十分に検討可能な政策課題です。しかし、それを実際に実現するには、既存政党や現職議員の利害、選挙の公平性、候補者が乱立した場合への対応など、いくつもの論点を同時に考えなければなりません。単純な話ではないのです。
そのうえで、なぜこの改革がなかなか進まないのかを考えると、一つの手がかりが見えてきます。地盤・看板・カバンをすでに手にしている現職議員や既存政党にとって、新規参入のハードルが下がることは、自らの相対的な優位が薄まることを意味します。そして、その改革を決める権限を持っているのは、まさにその「入りにくい仕組み」のおかげで議席を得てきた当事者たち自身です。これは、誰かが悪意を持って現状を維持しているという話ではありません。むしろ、既存の制度から利益を得ている側ほど、制度変更にともなう不確実性を避けようとする、という制度的なインセンティブの問題として捉えるべきでしょう。
制度の説明だけを追っていると、「なぜ変わらないのか」が見えてきません。しかし、「今の仕組みのままで、誰が得をしているのか」という視点を重ねると、改革がなかなか進まない理由が、輪郭を持って浮かび上がってきます。
「入りやすくすればいい」という単純な話でもない
最後に、ひとつ先回りしてお伝えしておきます。政治家になるためのハードルを下げれば、立候補者は増えるでしょう。しかし、立候補者が増えることと、良い政治家が増えることは、決して同義ではありません。
むしろ候補者が増えすぎれば、有権者は「誰を選べばよいのか」をかえって見失いかねません。その結果、知名度やSNSでの話題性といった、政策能力とは別の物差しが、選挙でますます幅を利かせる可能性すらあります。
したがって、「政治家になるためのハードルを下げる改革」と、「有権者が政治家の力量を見極められる仕組み」は、必ず対で設計されなければなりません。この論点は、シリーズ後半、⑤回目で改めて正面から扱います。
次回②では、こうして政治家になった人が、実際に議席に就いたあとに直面する問題――「政治家の仕事とは本来何なのか」「なぜ国会答弁は、官僚が書いた原稿の読み上げになってしまうのか」という、官僚との関係の内実に踏み込んでいきます。

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