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沖縄2011 座喜味城跡

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2000年、ユネスコの世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、今帰仁城跡、勝連城跡、座喜味城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽、玉陵、識名園、斎場御嶽の9カ所が登録されました。 沖縄の世界遺産マップ 世界遺産に関する過去記事はこちらをどうぞ。 沖縄 2008 ・ 世界遺産 今帰仁城(2008年9月13日) 沖縄旅行記 2009 (1) 旅のはじまりは首里城散策から(2009年8月11日) Okinawa 2010  文化を学ぼう-世界遺産・中城城跡(2010年9月24日) このうち、座喜味城(ざきみぐすく)は、築城家として名高い護佐丸(ごさまる)が、15世紀初期に築いた城といわれています。護佐丸は中山王の尚巴志(しょうはし)と伴に、北山や南山と戦い三山統一、いわゆる琉球王国の統一に大いに活躍した武将です。護佐丸は、当初山田城(やまだぐすく)に居城していましたが、滅びた北山の旧勢力を見張る目的で座喜味城を築城したと言われています。座喜味城跡は1956年に琉球政府の重要文化財に指定され、日本復帰の1972年には国指定史跡となりました。 規模は小さいですが、石垣のアーチ門や曲線が見事ですし、城からの景色は絶景で、残波岬、恩納村の海岸、遠くは那覇市や慶良間まで見ることができます。城郭は第二次世界大戦において、一の郭内に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されましたが、整備の始まった翌年返還されました。 座喜味城跡入口付近の石垣 座喜味城は布積みを初め、色々な石積み法でできています。 一の郭に入る門も、二の郭に入るものと同様の綺麗なアーチ型の天井を持っています。 座喜味城跡の場所 大きな地図で見る 沖縄2011 バックナンバー 旧海軍司令部壕(2011年9月27日) 糸数アブチラガマ(2011年9月28日) 斎場御嶽(2011年9月29日) 座喜味城跡(2011年10月2日) 美ら海水族館(2011年10月3日) さんご畑(2011年10月4日) 奥武島(2011年10月5日) 座間味島・古座間味ビーチ(2011年10月6日) 阿嘉島・ニシハマビーチ(2011年10月10日) 安慶名敷島(2011年10月11日)

理論は現実に従う (ドラッカー)

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理論は現実に従う。 我々にできることは、すでに起こったことを体系化することだけである。 ドラッカー名著集15 マネジメント[下]―課題、責任、実践 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 発売日:2008-12-12 ブクログでレビューを見る»

決断できない日本

議論の限界を知ってこそ(「宋文洲のメルマガの読者広場」から転載) 皆様がこのメールを目にした日の夜に、私は「朝まで生テレビ」に出ます。まだ起きておられたらぜひご覧ください。メイン・テーマは「日米同盟」、「普天間問題」です。あの沖縄県民を「ゆすりたかりの名人」と呼んだケビンさんがスタジオに来られます。 正直言って世界平和の観点からみても日本防衛の観点からみても、私は日米安保はとても大切だと思うのです。総領事と日本部長だったケビンさんがその日米安保を支持するのは当然でしょう。 しかし、同じ日米安保支持であっても立場が違うと支持の理由も違えば支持の仕方も違うのです。大量の民間人が米軍に殺された沖縄県民は日米安保を支持しても、いまだに故郷に響く戦闘機の轟音に耐えられない心情は理解し難いものではありません。 その県民の心情を理解せず、これまでの懐柔策を「施し」として捉え、未だに反対する住民の気持ちを「もっと施しがほしい」というたかり根性として理解する。これこそ占領者と植民者の発想だと思うのは私の考えすぎでしょうか。 かりに一部の県民が補償金の要求で少し苦しい心情を和らげたとしても、それはまた理解しにくい話ではありません。不倫された奥さんが慰謝料の増額を求めるのはゆすりたかりではなく、気持のバランスをとるためです。 一万歩引いて、かりにそれは確かにゆすりたかりだとしてもそれは占領者が言うことではありませんし、言うならばその場所を返してから言うものです。 本日のメルマガは何も日米安保の話ではなく、この立場を乗り越えて相手を理解することの限界について話してみたいと思います。「限界を乗り越える」という精神論よりも、限界を知って補足方法を見出すほうが効率的だと思うからです。 私よりも若く、中国の若者に人気の電機メーカー社長がいます。出井さんと私を顧問に招き入れ、世界進出を夢見るAigo社のFengさんです。 彼は消費者の若者に大いに支持されていますが、社内では「5元のFeng」と社員達にあだ名を付けられています。5元以上の物を買いたくないという皮肉のあだ名です。Fengさんとは家族ぐるみのお付き合いですが、彼は少しもケチではありません。彼が社員も気にしない5元を大切にするのは「ケチ」だからではなく、社員と立場も志も違うからです。 企業の中の議論は...

沖縄2011 斎場御嶽

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斎場御嶽(せーふぁうたき)は、沖縄県南城市(旧知念村)にある史跡です。15世紀~16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされています。 斎場(せーふぁ)とは”最高位”を、御嶽(うたき)とは、神が降臨し鎮座する聖域のことを指すそうですが、琉球開びゃくの中でこの国が七つの御嶽からできあがったと伝えられ、そのうちの1つがここ斎場御嶽であり、その歴史から七御嶽の中でも琉球王国最高の聖地とされています。 御嶽の中には6つのイビ(神域)がありますが、中でも大庫理(ウフグーイ)・寄満(ユインチ)・三庫理(サングーイ)は、いずれも首里城内にある部屋と同じ名前をもっています。最奥部の三庫理(サングーイ)には「チョウノハナ(京のはな)」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされています。 なお、三庫理(サングーイ)からは、王国開びゃくにまつわる最高聖地とされている久高島を遥拝することができますが、はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には、聖なる白浜を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任儀式である御新下り(おあらおり)でした。斎場御嶽は、琉球王国や聞得大君の、聖地巡礼の行事を今に伝える「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。 斎場御嶽は、2000年12月、首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。また、御嶽内で出土した陶磁器と勾玉などは国の重要文化財(考古資料)に指定されています。 斎場御嶽の入口にある世界遺産の碑 緩やかな石の道が続く 大庫理(ウフグーイ) 大広間や一番座という意味 寄満(ユインチ) 台所:世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた所」という意味 三庫理(サングーイ) 二本の鍾乳石と、三角形の空間の突き当たり部分は、それぞれが拝所 奥は、チョウノハナと呼ばれる斎場御嶽で最も神聖な拝所 香炉が置かれている 久高遙拝所(くだかようはいじょ)   琉球開びゃくに登場するアマミキヨという女神が降臨したという 神話の島「久...

沖縄2011 糸数アブチラガマ

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アブチラガマは、沖縄県本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟(ガマ)です。沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。 軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。昭和20年(1945年)5月25日の南部撤退命令により病院が撤退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となりました。その後、米軍の攻撃に遭いながらも生き残り、8月22日の米軍の投降勧告に従って、住民と負傷兵はガマを出ました。 アブチラガマは、数少ない平和学習の場として修学旅行生を中心に年間15万人が訪れる鍾乳洞だそうです。全長270mの壕内は、ほぼ全域が公開されていますが、非常用以外の照明が無く、沖縄戦追体験として「漆黒の闇」を体験することができます。 (関連記事) 糸数アブチラガマの内部(沖縄平和ネットワーク) アブチラガマ入口 ひっそりと千羽鶴に囲まれた慰霊碑 アブチラガマ出口 アブチラガマの場所 大きな地図で見る 沖縄2011 バックナンバー 旧海軍司令部壕(2011年9月27日) 糸数アブチラガマ(2011年9月28日) 斎場御嶽(2011年9月29日) 座喜味城跡(2011年10月2日) 美ら海水族館(2011年10月3日) さんご畑(2011年10月4日) 奥武島(2011年10月5日) 座間味島・古座間味ビーチ(2011年10月6日) 阿嘉島・ニシハマビーチ(2011年10月10日) 安慶名敷島(2011年10月11日)

沖縄2011 旧海軍司令部壕

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今年も夏休みを利用して、家族で沖縄へ行ってきました。毎年のことながら、沖縄の自然、歴史、文化には心から感動し癒されます。 約1週間ほどの旅でしたが、今年は、これまでのようにガツガツと観光地を回るのではなく、なるべくゆったり、のんびり、じっくり沖縄を体感しようと考え、訪問するポイントを限定しました。 記事のアップが遅れ季節感がなくなってしまいましたが、今回から数回に分けて、沖縄の魅力をお届けしたいと思います。 まずは、沖縄の歴史からご紹介します。 旧海軍司令部壕(豊見城市) ここは、凄まじい沖縄戦の様子を学ぶことのできる有名な場所ですが、意外や、我が家にとっては初めての訪問でした。 オフィシャルサイト では次のように説明されています。壕内の案内図や写真はサイトをご覧ください。 昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4千人の兵士が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。・・・ 壕入口のとなりにある資料館内では、沖縄戦の経過が理解できるようになっているほか、壕内より発掘された遺品(銃器、軍服など)や、家族へ宛てた手紙などが展示されています。 米軍の慶良間諸島上陸関連資料 沖縄で米軍将兵にレーション(携行食糧)を手渡される沖縄の老婦人 (関連記事) 沖縄海軍壕(旧海軍司令部壕)-戦争が何なのかを今に伝える施設です(沖縄情報IMA) 旧軍司令部壕の場所 大きな地図で見る 沖縄2011 バックナンバー 旧海軍司令部壕(2011年9月27日) 糸数アブチラガマ(2011年9月28日) 斎場御嶽(2011年9月29日) 座喜味城跡(2011年10月2日) 美ら海水族館(2011年10月3日) さんご畑(2011年10月4日) 奥武島(2011年10月5日) 座間味島・古座間味ビーチ(2011年10月6日) 阿嘉島・ニシハマビーチ(2011年10月10日) 安慶名...

利益とは目的ではなく条件 (ドラッカー)

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利益が重要でないということではない。 利益は企業や事業の目的ではなく、条件である。 利益は、事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度である。 ドラッカー名著集2 現代の経営[上] P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 発売日:2006-11-10 ブクログでレビューを見る»

学びの場づくりに向けて

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去る9月17日(土曜日)に、「学生支援の新たな展開-学生サービスを越えて-」と題するセミナー(主催:IDE大学協会九州支部、共催:九州大学)が開催されました。 開催の趣旨等 (PDF)はこちらをご覧ください。 セミナーは、近時、「質の保証」の文脈の中での学生支援が語られる時代となり(学士課程答申等)、新たなパラダイムが出現してきたことに相まって学生支援を取り巻く状況は混沌とし、改めて理念を洗い直す必要があるのではないか、今後教職員が一体となっていかなる学生支援の展開を図っていくかという課題認識の下、基調講演、事例報告、総括・討議といった構成で進められました。 学生支援活動が拡がらない理由の一つとして、その活動が大学の理念とかけ離れているという指摘があります。大学は、学生の「自主性」と「放任」をどう調和させながら学生支援に関わっていけばいいのでしょうか。 セミナーの中で印象深かったのは、学生支援活動は、学生に目的意識と付加価値を認識させる必要があること、学生の自主性・自発性を重視し学生に成果を求めない、学生が失敗から学ぶことのできるプログラムとして提供すること、ただし、目指すべき成果が得られるよう指導(教職員による誘導)は必要であること、地域自治体等学外における活動等への参加や連携を通じて進めることが重要であること、といった指摘でした。 大学には、あらゆる学生層、多様化された人材像があります。正課内の活動ではどうしても限界があり、正課外活動でコミュニティを通じた学生支援活動を進めていくことは重要と思われます。また、キャンパスは「小さな世界、小さな社会」を構成し、いろんな価値観をもった人に出会える場所でもあり、市民性が育成しやすい利点もあります。授業で得られた知識を実体験し学びを定着させる場を提供する大学の使命を再認識し新たな展開を図っていく必要があります。 「人と人とのつながりの中で営まれる社会的活動を通じて学ぶ」ことが重要であること、そのために大学には、「学生目線の多様なプログラム」を提供するなど、「学びの場づくり」を積極的に展開していくことが今強く求められています。

世界記憶遺産-山本作兵衛コレクション

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3連休を使って、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録された「山本作兵衛コレクション」展(福岡県田川市石炭・歴史博物館)に行ってきました。開幕直後ということもあって、大勢の来場者でした。 世界記憶遺産に登録された飯塚市出身の絵師・山本作兵衛(1892~1984年)さんは、炭鉱労働者としての体験を基に筑豊のヤマの仕事と生活を描いた記録画を数多く残しており、博物館には、コレクション697点のうち、炭鉱記録や日記等627点が収蔵されています。 世界的に認められた作品を直接目にすることができとても感動しました。今後10月16日までは代表作を中心に展示され、10月18日~11月13日は「坑内労働/ヤマの暮らし」、11月15日~12月11日は「運搬/縁起・迷信・禁忌」、12月13日~来年1月9日は「ヤマの仕事/米騒動」をテーマに30点ずつが展示されるそうです。 なお、博物館の第一展示室には、石炭のなりたちや、石炭がどのようにして採掘されたか、炭鉱で働く人々や生活の様子が、イラスト、模型、道具、ジオラマを使って展示されています。また屋外展示場には、炭坑節に唄われた2本の大煙突や堅杭櫓、石炭の輸送に使われたSL、採炭・掘進・運搬などに使われたロードヘッダーなどの大型機械類、復元された炭鉱住宅などが展示されています。詳しくは 博物館のオフィシャルサイト をご覧ください。 このように、この博物館では、石炭産業の歴史が一目でわかるようになっていますので、ぜひ立ち寄られてはいかがでしょうか。 旧三井田川鉱業所伊田堅杭櫓 地下深部の石炭を採掘する堅杭の捲揚機(1909年完成) (参考) ユネスコ・世界記憶遺産の一覧 (NAVER)

組織は戦略に従う (ドラッカー)

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組織構造は目的を達成するための手段である。 組織構造に取り組むには、目的と戦略から入らなければならない。 これこそ組織構造についての最も実りある洞察である。 これは当然と思われるかもしれない。 そのとおりである。 しかし現実には、組織づくりの最悪の間違いは、いわゆる理想モデルや万能モデルをそのまま生きた組織に当てはめるところから生じている。 マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則 ピーター・F・ドラッカー ダイヤモンド社 発売日:2001-12-14 ブクログでレビューを見る»