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法人化と大学改革(1)

国立大学の法人化からちょうど8年が経過しました。これを機に、関係者の皆様は、果たして法人化は国立大学に何をもたらしたのか、制度構築の意図は十分に達成されたのかなどについて、改めて考えてみるのもいいのではないでしょうか。そのための参照文献として、今回から、澤 昭裕さん(当時、独立行政法人経済産業研究所コンサルティングフェロー)が書かれた「 国立大学法人法と国立大学改革 」と題する論考を抜粋し数回に分けてご紹介することにしました。 この論考は、国立大学法人法が国会で成立した平成15年に、「国立大学法人法の問題点を分析し、法人化の本旨に沿った大学改革を実現するためには、どのような点に注意していくべきか」について提言を行うことを目的として書かれたもののようですが、半年後には、全ての国立大学が法人化されようとしていた当時における識者の優れた見方・考え方が合理的に整理されてあり、その内容と8年が経過した「いま」との対比の中で、今後の国立大学を占うこともできるのではないかと思います。 ◇ (途中略)国立大学制度の問題点は、枝葉末節まで含めれば数限りなくあろうが、法人化による改革の最大の眼目は、文部科学省という行政機構と国立大学とのもたれあい構造を打破するとともに、国立大学間においても護送船団方式による一律の改革に陥らず、いかに個性を発揮した競争構造を構築していくか、という点にある。私立大学を含め、大学間の教育・研究両面にわたる競争が促進され、グローバルに通用する研究や人材(逆にローカルを支えていく技術や人材も)が、それぞれの国立大学から輩出されるよう改革を進めることが重要である。 本稿では、法人化の基本を定めている国立大学法人法を読み進めながら、その問題点を指摘するとともに、条文の趣旨を徹底させていくためには、実務上どのような工夫を講じていかなければならないかについて検討することとしたい。 1 国立大学の存在根拠・・・国立大学法人法「別表」に記載 各大学の存在自体が、法的にどのような形で規定されるのかという問題は重要である。大学ごとに法人化するという点は、文部科学省の調査検討会議においても合意されていたが、最終的には国立大学法人法では別表に各大学の名称が列挙されることとなった。 独立行政法人の場合、各法人全てに横割り的に適用される組織運営原則を、独立行政法人通則法という法形式...

大学教員への転職

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「 大学の教員になる方法・文系の巻 」( 文部科学教育通信 No.287 2012.3.12 )(教育評論家 梨戸茂史)をご紹介します。 ◇ サラリーマンであれ、何であれ職業人が、途中から大学教授になるのは、なかなか大変だ。その苦労を”1勝100敗!”と表現した人がいる。元役人の中野雅至氏が書いた「1勝100敗!あるキャリア官僚の転職記」(光文社新書)。副題は「大学教授公募の裏側」だが裏話ではなく「苦労」話だ。 今は、ほとんどの大学の教員は”公募”が原則。実際には有力候補が学内にいても”公募”が建前。うまくすると良い人が出てくるかもしれないし・・・。 意外だったのは、同氏のような社会人出身の大学教員の割合だ。もちろん、理系で企業の研究所からやってくるいわば横滑り?のような方々も含んではいるのだろうけれど、2007年度で36.7%もいる(松野弘「大学教授の資格」)。 そこで、社会人から大学に行く方法として、中野氏があげる4点がポイント。まず、大学教授への転身には時間がかかるから「忍耐強くやる」こと。第ニは「学会活動が重要」。三番目は学者の評価は論文で決まることから「論文を書くべき」。最後は「大学院で博士号をとる」こと。それと重要なのは、「分野」。社会人だから何らかの仕事をしているわけで、それを研究分野にすることだ。 同氏の体験論から、経済学関係でいえば「開発や経済発展」の分野を専門にしようと思ったが、相談した先生いわく「・・・たとえば、東大の経済学部を出て、ハーバードやイェールなんかの超一流大学でPh.D(博士号)を取って、世銀(世界銀行)やIMFでの勤務経験があるような奴が公募に応募してくんねんで。君、こんな人に勝てまっか?」だ。ある意味、自分の仕事の狭い?分野を極めることが成功につながりそうだ。 「博士号」に関しては、実務家としては必ずしも必要ないようだが、実務の実績だけでは不十分なことがあり、一方で、学問の世界のルール(博士号をもち、学術論文が書けること)が分かっているとみなされることと、将来、どうせ論文を書いて認めてもらう必要があるのだからその訓練としても重要なことだと言う。「実務家としての賞味期限はせいぜい5年程度」(同書)との意見は貴重だから、サラリーマン時代に書く訓練をしておく意味は大きい。 ところで、学術論文は、仮説・...

漫然ではダメ、意識的に働け(土光敏夫)

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日本人は勤勉だといわれるが、たしかにそうかもしれない。しかし、その働きの中身となると、はたしてどうでしょう?厳しいかもしれないが、僕の目から見ると、どうもそうは思えないんだな。働くという字には「人べん」がつく。人が動くから「働く」。ところが、実際には「働く」のニンベンが消えて、ただの「動く」になっているような面が多々ある。肝心の人間がみずから「人」を放棄しているわけだ。 工場などは、システムで動いているからサボるわけにはいかんけれど、外回りの社員たちは喫茶店で時間を潰したり、ひどいのになるとパチンコ屋で遊んでいたりする。それでも成績を上げてくれればいいが、世の中、そんなに甘くありません。 工場のシステムに組み込まれていても、ただ漫然と仕事の流れに身を任せている人と、意欲をもって働く人とではやがて大きな差が出る。ちょっとした心遣い、人より一歩先をみることができるかどうか。これは能力のあるなし、頭の良し悪しに関係ない人間の姿勢自体の問題です。 昭和人間記録 土光敏夫大事典 産業労働出版協会 発売日:1989-04 ブクログでレビューを見る»

責任のある仕事(ドラッカー)

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自らの成長のために最も優先すべきは卓越性の追求である。そこから充実と自信が生まれる。能力は、仕事の質を変えるだけでなく人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味をもつ。能力なくしては、優れた仕事はありえず、自信もありえず、人としての成長もありえない。 何年か前にかかりつけの腕のいい歯医者に聞いたことがある。「あなたは、何によって憶えられたいか」。答えは「あなたを死体解剖する医者が、この人は一流の歯医者にかかっていたといってくれることだ」だった。この人と、食べていくだけの仕事しかしていない歯科医、平凡を旨としている歯科医との差の何と大きなことか。 組織に働く者の場合、自らの成長は組織のミッションと関わりがある。それは、この教会、この学校での仕事に意義ありとする信念や献身と深い関わりがある。仕事のできないことを、設備、資金、人手、時間のせいにしてはならない。それではすべてを世の中のせいにしてしまう。よい仕事ができないのをそれらのせいにすれば、あとは堕落への急坂である。 非営利組織のリーダーにとっては、人の成長を考えることは必須のことである。人は組織とビジョンを共有するからこそ非営利組織で働く。何も得ることのないボランティアが長く働いてくれることなどありえない。金銭的な報酬を得ていないからこそ、仕事そのものから多くを得なければならない。 非営利組織の側にしても、これまでずっとそこにいたから、そのままい続けたいというような、大義を失った人たちを抱えていたくはない。事実、成果に焦点を合わせた優れた非営利組織では、そのような色あせた人たちがい続けられないほど、多くの時間と仕事を要求しているはずである。 非営利組織においては、建設的な不満を醸成しなければならない。有給のスタッフやボランティアが、夜の会議に疲れて、「みんな、なんてばかなのか、どうしてやるべきことをやらないのか」と大声で文句をいい合いながら帰途につく。それでいながら、では、なぜ辞めてしまわないのかと聞かれれば、「とても大事なことだから」と答える。そのような組織をつくり上げる鍵は、全員が、目的の達成には自分の存在が不可欠であると実感できるように仕事を組織することである。 ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 発売日:2007-01-2...

競争は能力を開花させるか

ブログ「 教育の危機と再生 」( 内田樹の研究室 )から抜粋しご紹介します。 ◇ 教育崩壊の最大の原因は、子どもたちを競争的環境に投じて、数値的に格付けして、点数順に社会的資源を傾斜配分するというシステムにしがみついていることです。点数の高いものには報酬を与え、低いものには罰を与えるというこの査定システムの本質的な貧しさと卑しさが子どもたちを学びから遠ざけている。学校そのものが子どもたちの潜在能力の開花を阻害し、健全な子どもたちをそこから脱落させている。そして、日本の学校をうまく逃れた若者たちだけが輝いている。これは日本の学校教育にとって恥とすべき事態だと思います。 では、危機にある日本を再生するためにどうすればいいのか。言い古された言葉ですが、日本の未来を担うのは子どもたちなんです。どうすれば、本当に日本の未来が担えるような、知的で、感情豊かで、器が大きくて、目元が涼しくて、話がおもしろくて、包容力があって・・・そういう輝く子どもが育ってくれるのか。学校教育に携わる人間は何よりもそれを考えるべきでしょう。試験で計れる点数なんか、極端な話、どうだっていいんです。 武道の道場では相対評価ということをしません。誰より誰が強いとか、巧いとか、そういうことは原則として話題にしないし、すべきでもない。だって、入門してくる時もばらばらだし、性別も年齢も身体能力も違うから比較する意味がない。 他の条件を同一にすれば、強弱巧拙は比較可能ですけれど、武道というのは「他の条件を同じにした場合に、どちらが強いか」というような気楽な話をしているわけじゃない。いつ、どこで、どういうことが起きるかわからない。どうしていいかわからないその危機的状況をどうやって生き延びるか、その生きる知恵と力を開発することが修業の目的なんです。それは他人と比較するものじゃない。比較する対象があるとしたらそれは「昨日の自分」だけです。自分自身の経時的変化をモニターすれば、自分が今やっている稽古方法が正しいかどうかは点検できる。 でも、その経時的変化にもいろいろある。すぐに上達するけれど、その後、長い停滞期に入る人もいる。あれこれ迂回したけれど、その寄り道のすべてが滋養になって開花する人もいる。いろんな人がいます。でも、稽古を続けていれば全員必ず開花するんです。よほど自分自身を縛り付けて成長...

トップの継承(ドラッカー)

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やり直しのきかない最も難しい人事がトップの継承である。それはギャンブルである。トップとしての仕事ぶりはトップにつけてみないとわからない。トップへの準備はほとんど行いようがない。大統領選挙にしても、われわれにできることといえば、神がアメリカを見捨てることのないよう祈ることだけである。同じことは、それほど偉くはないトップのポストについてもいえる。 しかし、してはならないことは簡単である。辞めていく人のコピーを後継にすえてはならない。辞めていく人が、「30年前の自分のようだ」というのならばコピーでしかない。コピーは弱い。 また、18年間トップに仕え、ボスの意向をくむことには長けているものの、自身で決定したことは何もないという側近も注意したほうがよい。自分で決定する意欲と能力のある人が補佐役としてそれほど長くとどまることはあまりない。 さらにまた、早くから後継者と目されてきた人物も避けるべきである。そういう人は、多くの場合、成果が必要とされ、評価され、失敗も犯しうる立場に身を置くことのなかった人である。傍目にはよいかもしれないが成果をあげる人ではない。 では、トップの継承にあたっての前向きな方法は何か。まず、仕事に焦点を合わせることである。これからの数年何が最も大きな仕事になるか、次に、候補者がどのような成果をあげてきたかを見ることである。こうして、組織としてのニーズと候補者の実績を合わせればよい。 つまるところ、非営利組織の成否を決めるものは、やる気のある人たちをどれだけ惹きつけ引きとめられるかである。この能力をなくしたとき衰退が始まるのであり、逆転は不可能に近いというべきである。われわれは、得るべき人材を得ているか。活躍してもらっているか。そのような人材を自ら育てているか。人事に関して考えるべきことばこの三つだけである。 われわれはこの組織を喜んで任せたいと思う人たちを惹きつけているか。彼らを引きとめ、刺激し、認めているだろうか。われわれ以上になってもらうために、彼らを育てているだろうか。いい換えるならば、われわれは人事によって明日を築いているだろうか、それとも安易な日常に満足しているだけだろうかということである。 ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 発売日:2007-01-2...

小便しながらでも報告せよ(土光敏夫)

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社長でも、権限を譲っていない人がいる。それはおかしい。事業部長に権限を与え、事業部長もまた下の者に与える。すると、社長や事業部長のポケットに何も残らないかといったら、そうではない。責任は全部残る。権限は全部与えても、責任は百パーセント残っているのだというのが、ボクの主義だ。 だから、絶えず注意していなければダメで、権限を委譲された者は、必ず必要なレポートをすることが責任だ。決して一方通行ではならない。例えば、廊下などで会ったときに、「あれはどうなったか」と聞いた場合、すぐに返答が出来ないようではダメだ。あるいは、お互いに便所に行ってならんで小便をしながらも、話が通じるようになっていなければいけない。椅子に腰かけて報告を聞くとか、意見を聞くのなら、何時間でも聞けるけれども、それは、長たらしい報告になるだけだ。報告書は結論を先に書くべきで、結論を読んで判らなければ、あとの報告のところを読んでみる、ということにしたい。 土光敏夫 21世紀への遺産―人生・人間・政治・会社・未来 志村嘉一郎 文藝春秋 発売日:1988-01 ブクログでレビューを見る»

国家公務員の給与減額支給措置への対応

消費税や復興経費の財源確保のための公務員叩きがますますエスカレートしていますが、各国立大学法人では現在、「国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関する法律」の成立を受けた対応について頭を抱えています。 去る3月6日付けで、総務省行政管理局長から、各府省官房長宛に「独立行政法人における役職員の給与の見直しについて」と題する事務連絡が発出されています。主な内容は以下のとおりです。 ◇ 国家公務員の給与については、第180回国会において、国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関する法律(平成24年法律第2号)が成立したところ。これに関し、「国家公務員の給与減額支給措置について」(平成23年6月3日閣議決定)及び「公務員の給与改定に関する取扱いについて」(平成23年10月28日閣議決定)においては、独立行政法人の役職者の給与について、「法人の業務や運営のあり方等その性格に鑑み、法人の自律的・自主的な労使関係の中で、国家公務員の給与の見直しの動向を見つつ、必要な措置を講ずるよう要請する」とされているところである。ついては、各府省におかれては、貴管下の独立行政法人に対して、これらの閣議決定の趣旨に沿って、国家公務員の給与見直しの動向を見つつ、各独立行政法人の役職員の給与について必要な措置を講ずるよう要請されたい。 ◇ 上記の事務連絡を受け、3月8日には、文部科学省大臣官房長から各国立大学法人学長など宛に「独立法人における役職員の給与の見直しについて」と題する事務連絡が発出されています。上記総務省行政管理局長からの通知を受けお知らせするというスタンスになっていますが、要は「法人の自律的・自主的な労使関係の中で、国家公務員の給与見直しの動向を見つつ、貴法人の役職員の給与について必要な措置を講ずるよう要請する」といった内容、つまり「君たちも、国家公務員同様、給与を減額しなさい」ということです。 国立大学法人の教職員の給与については、国民への説明責任を果たすため、法人化後も、基本的には、社会一般の情勢に適合したものとなるよう人事院勧告に準拠した給与改定が行われてきました。したがって、今回も人事院勧告見合いの減額については、さしたる混乱もなく処理されると思われますが、それ以外の減額については、各法人内の労使関係により対応が分かれる可能性があります。 また、各国...

大学におけるトップ・ミドル・ロワーの役割と課題(2)

前回に続き、「 経営管理の視点から大学の組織変革を考える 」(吉武博通:筑波大学大学研究センター長、ビジネスサイエンス系教授)(リクルート カレッジマネジメント 173)をご紹介します。 ◇ ミドル-取り次ぎにとどまるか変革の起点となるか 経営組織として企業と大学を比較した時に、最も大きな違いがあると考えられることの一つがミドルの働きである。 ミドルアップダウンという概念が示すように、日本企業においてはミドル、とりわけ課長が重要な役割を果たしてきた。組織構造上、課が仕事のまとまりであり、課が機能することで会社全体が動く。それゆえに入社すると課長への昇進が当面の目標になり、そこに向かって研鑽を重ねることになる。最近は様相も変わってきているが、実務最前線の組織単位を率いる課長の役割が重要であることに変わりない。 ちなみに部長は経営層と頻繁に接することでその意向を的確に理解し、複数の課を束ねながら、各課長に包括的な指示を与え、その職務遂行を促すことを主たる役割としている。課長が実務第一線の責任者であるのに対して、部長は経営と実務を強く結びつける役目を負っているといえる。 大学の場合は、企業に比べて課長や部長の存在感が希薄な印象を拭えない。もちろん、国公私立間、あるいは大学間や部署間で違いがあり、個人差もある。新たな施策が次々に展開され、活力や勢いを感じる大学には、比較的若く行動力ある課長が少なくない。その一方で、大学全体で見れば、経営と実務の間の情報の取り次ぎにとどまっている部課長が少なくないように思われる。部課長層の保守的な姿勢が変革を妨げる要因の一つとなっていることも考えられる。 これらの事柄については、印象論にとどめず、実証的に現状を明らかにする必要があるが、まずはそれぞれの大学の実態がどうであるか、大学ごとに自己点検する必要がある。 仮にここで指摘したような課題があるとしたら、トップマネジメントによる部課長層の使い方、責任・権限や機能分担などの組織設計、部課長の配置・選抜、そこに至る育成環境や昇任後の学習機会、組織文化など、どこに問題があるかについて十分に検討する必要がある。 その上で、既に部課長層にいる人材については、適切な刺激を与えつつ、個々人の知識や経験を活かした活用方策を考えていかなければならない。同時に、将来の部課長...

大学におけるトップ・ミドル・ロワーの役割と課題(1)

「 経営管理の視点から大学の組織変革を考える 」(吉武博通:筑波大学大学研究センター長、ビジネスサイエンス系教授)(リクルート カレッジマネジメント 173)をご紹介します。 ◇ 危機を好機として経営管理を根付かせ進化させる 欧州債務危機、未曽有の円高や資源価格の高騰、未だ道筋の見えない財政・社会保障改革など、国内外の経済情勢は混迷の度を深めている。我が国の名目国内総生産は過去20年近く停滞したままであり、2011年の貿易収支も31年ぶりの赤字となった。 大学を取り巻く環境が予想を上回るスピードで厳しさを増す中、それぞれの大学は危機感をバネに改革を加速させる必要があるが、その動きは総じて緩慢といわざるを得ない。最大の原因は、当事者意識をもって変革をやり抜く強い意志や一体感の希薄さにあると考えられる。 大学には、経営と教学の関係、執行部と学部の関係、教員と職員の関係など、特有の構造がある。その結果、改革が進まない原因をこれらの構造に求めたり、それぞれの立場でやるべきことを徹底せずに、他を批判したりといった傾向に陥り易い。 大学の本質を考えると知の共同体としての枠組みはこれからも重視されるべきだが、強固な経営組織による支援なしにそれを維持することはできない。大学に特有の構造を一旦脇に置いて、大学を、理事長または学長をCEOとし、職員を主たる構成員とする経営組織と捉えた場合、その構造や性質は企業などと大きく違わないものになる。そう考えることで、危機を乗り越えた企業の事例に学ぶこともできるし、特有の構造を言い訳に変革を遅らせることも許されなくなる。 企業はどのようにして危機を乗り越えるのだろうか。経験的には、トップの決意や方針が明確であること、それが具体的施策に落とし込まれていること、構成員がそれぞれの立場で何をすべきかが分かっていること、成果が見えることが活動の持続・発展に繋がっていること、などが重要な要素になると考えている。 これらの事柄は、危機に直面したからといって直ちに実現できるものではない。経営組織を組織として機能させるための考え方や方法論が必要になる。それが本稿でとりあげる経営管理である。 大学において処理すべき業務は足元で着実に増加し、その難度も高まる傾向にある。何ら手を打たなければ、これらの業務をこなすだけで力を消耗し、...