投稿

大学職員の気質

イメージ
教育評論家の 梨戸茂史 さんが書かれた「 大学職員と秘書嬢の話 」( 文部科学教育通信 No.310  2013.2.25 )を抜粋してご紹介します。 最近の大学職員、特に国立大学では、そこの卒業生が「大学職員採用試験」を受ける傾向が強いと聞いた。東大生といえども就職先に自分の大学の職員を目指す。かつては公務員試験の一部だったから当然ありうる話だが、昔は旧帝大クラスの事務官は地元の私学の卒業生がメインだった。そこで優秀な人材が抜擢されて本省勤務、厳しい環境で仕事をこなして、最後は各大学で部長や事務局長としてそのキャリアを全うしていた。すなわち地元私大の人材を受け入れる貴重な場だったと言える。だが、地元就職願望が強くなり、そこを各国立大学の卒業生が受験したら、合格者はほとんど彼らだけになってしまう。受けてはいけないという話ではないが、多彩な人材がいたほうがいいという要請と、某学長の「卒業生は地元に留まらず、もっと広い世界に出て行くべきではないか」という趣旨の”嘆き”は最近の学生には届かないようだ。 さて、今野浩センセイの「ヒラノ教授」シリーズのお話。教授のお勤めは、最初は国立の筑波大、その後は東工大。定年の後は私立の中央大学だった。それぞれの大学における事務職員の気質?の比較が面白い。まず、「新構想」だった筑波大はできたてだったからほとんどの事務官は、先生いわく「進駐軍」。「とても怖いひとたちだった。・・・国策・筑波大学には、文部省の右派エリートが送り込まれていた。彼らにとって、自治権をはく奪されたヒラ教授ごときは、管理の対象にすぎなかった」。おまけに「部局詰めの事務官も・・・進駐軍スタッフが多かった・・・学生時代に、骨身を削って学生と教官に奉仕する事務官を見てきたヒラノ教授は、筑波の事務官を”特高事務官”と呼んでいた」。まあ、大学紛争の後だし、教授会自治はなくヒラノ先生も助教授だったからそう見えた部分もあるのでしょうけれど。 ところが東工大に移ると、学部事務官は基本的に大学からの移動はないので、しっかり先生たちに寄り添って仕事をしてくれたようだ。もちろん管理職グループは本省からの「進駐軍」。「東工大の現地事務官」から見れば、「教授(7割は卒業生)は全国でも有数の難関校・東工大の入学試験に合格した、エライ人である」となる。それなりに尊敬を払ってく...

IRの生かし方(3)

イメージ
前回に続き、 名城大学 の 難波輝吉 さんが書かれた論考「 大学の活動を可視化するためのIR機能 」(大学・学校づくり研究 第2号 2010年3月19日発行)をご紹介します。 4 我が国におけるIR機能の発展と充実に向けて 最後に、これまでの過程で明らかになったことを総括し、IR機能の発展と充実に向けて必要な取り組みを示す。そして、今後、我が国においてIRを広く普及させる上での課題について考察する。 大学内に存在する様々なデータは、事務職員が作成・管理を行い、必要に応じて教員に提供していることが多い。このことは、教員が利活用すべきデータや情報が行き渡っていないことを示唆するものである。的確にデータや情報を流通させるためには、教育研究諸活動に関わる実践状況の共有を旨とした教職協働の推進が不可欠である。 また、教育・研究・経営の現状を把握するためのデータや情報は、意思決定における様々な場面を想定し、様々な要素を多面的に理解・判断する力が求められる。例えば、教育研究環境の充実のために教員数を増加させる場合には、ST比、教員の担当授業時間数、定員超過率、教員人件費単価、学生生徒等納付金の依存度などの情報を活用し、経営上の視点から人件費の在り方を検討しなければならない。それらの要因を統合した指標が、教育の側面と経営の側面の分析情報を創出することに繋がるということから、データや情報を意味あるものとするための企画・開発力はIR活動において重要な意味を持つ。また、それらのデータや情報の妥当性についてもその有効性を見極める力が必要である。この力は、データの背景も含めた様々な学内外の動きをモニタリングすることが必要なので、前出のとおり、教職協働の体制により、それぞれに持つ有益な情報を共有することが求められる。 IRは直接的な意思決定を担うのではなく、意思決定者が認知しておくべき重要な情報を提供する役割を担うものである。IRはこれに応えるため、学内に存在する様々なデータの量と質を理解し、必要に応じて加工・分析を行うのであるが、意思決定者の意図に対して迅速に報告することが求められる。これを実質化するためには、意思決定者が、IRの活動に関心を持ち、活動内容に対して理解を示すことが必要である。意思決定は、よき計画を意図するだけではなく、よき行動として実行に移し、ヒト、モノ...

IRの生かし方(2)

イメージ
前回に続き、 名城大学 の 難波輝吉 さんが書かれた論考「 大学の活動を可視化するためのIR機能 」(大学・学校づくり研究 第2号 2010年3月19日発行)をご紹介します。 3 IRに必要な環境・人材確保と育成の方途 (1)IRに必要な環境 大学の組織を支える基盤は多種多様である。多様化・複雑化する環境下において、大学の組織力強化は重要課題である。しかし、IR組織を設置すれば、あらゆる課題が解決するというものではなく、データ環境、人的資源の有効活用が重要である。IRの環境づくりについて、森(2008)は、IR部局(組織)は、アカデミックとアドミニストレーションのマージナルな場に存在していると述べ、IRに必要なのは部局(組織)ではなく、機能ではないかと指摘している。その根拠として森が挙げているのは、各大学には既に大学資料を収集・管理する部署、入学試験の企画・入試広報を行う部署、将来構想に関わる企画・立案を行う部署などがあり、日常業務の遂行過程で多種多様なデータを集積する機能を有しているという点である。ただし、これらのデータは、体系的に整備されていないことが多く、総合性と継続性が保証されていない。これらのことから、IR組織を設置することに腐心するのではなく、様々なデータ・情報を体系的に集積し、継承していくことに力を入れることを重視すべきであると森は述べている。この指摘は、大規模なデータ集積システムや高度な専門性を有するスタッフに多額の投資をしなくても、IR機能が実現し得ることを示すものであると考えられ、名城大学での筆者による実践から得られた知見とも一致する。これが大学に望まれる「敷居の高くないIRシステムづくり」の重要な要素であると考える。 (2)IRを担う人材に必要な力・育成方法 IRに必要な知識・技術について理論的に検討した Terenzini(1999)は、IRに必要な知(組織的知性)は次の3つの層からなるとしている。 ①技術を活かし分析する知:機関の基本的構造、基本的用語・標準カテゴリ、集計手順・方式などを理解した上で、研究デザイン、資料検索、サンプリング、統計分析、質的分析などができる能力。コミュニケーション能力やコンピュータスキルを含む。 ②課題に対処する知:機関の意志決定者・経営者が直面している課題あるいは機関の機能や意思決定方...

IRの生かし方(1)

イメージ
名城大学 の 難波輝吉 さんが書かれた論考「 大学の活動を可視化するためのIR機能 」(大学・学校づくり研究 第2号 2010年3月19日発行)をご紹介します。 近年、我が国の大学でも、Institutional Research(以下、IR)が重視されるようになってきた。しかし、その現状をみると、自己点検・評価活動に直結するデータ・情報の管理・分析、報告書作成の機能は果たしているものの、米国や豪州のIRと比較すると、大学の意思決定支援や政策形成支援に対して十分に機能していると言い難い。本稿は、IRの発展過程と筆者の実務的経験をふまえて、教育の質保証と経営上の意思決定を支援するためのIR機能及びその定着に向けた課題と解決方策を明らかにすることを目的とする。 大学の社会的責任を果たすべく、大学の活動の成果を可視化するためには、教育情報と経営情報を相互変換するコミュニケーション環境の構築とともに、意思決定を支援する教職員の情報収集・分析マインドの醸成が重要課題である。この課題を克服しつつ、我が国の高等教育の文脈に即した日本型IRの在り方とIRを担う人材育成の方策を明らかにすることが今後の研究課題である。 1 はじめに 大学の使命は、研究による知識創造と教育による知識継承である。他方、大学は非営利組織として経営体の性質も有している。故に、様々なデータや情報を駆使して組織経営の効率化を図りながら、高い質の教育・研究活動を持続的に展開していくことが求められる。 データは、社会に対して大学の教育研究活動の情報を発信していく上でも有益である。大学の教育研究目標・計画・成果に関する情報、大学への入学や学習機会に関する情報、学生の知識・能力の修得水準に関する情報、卒業生の進路状況に関する情報などを広く公開することが求められるようなった現在、それに備えて、大学内部でデータを整備しておくことが必要である。しかし、現状では、目標管理や説明責任を果たすために必要な資料やデータが一元的に管理されていない大学が多い。また、自己点検・評価の結果を教育・研究・経営の改善に役立てる活動も、必ずしも十分には行われてこなかった。大学の成果としての教育研究諸活動に関わる情報発信についても同様である。 このような現状を踏まえ、筆者の担当業務であった自己点検・評価活動の実質化に資する方...

為政者の悪弊

イメージ
大学の経営トップが主体の会議に列席した際、たまに、むなしい気持ちになるときがあります。 組織にスピード感がない、役に立たないからといって、新たな組織を別に作り、屋上屋を重ねようとします。組織を構成するメンバーから煙たい教員を排除し、自分たち経営側で固めてしまおうとします。 既存の組織をどう生かすか、あるいは、どう動かすかを一切考えず、自分たちがやり易いことのみを優先する悪弊がいつまでたっても直りません。 正論であればなんでも通ると思っています。声高に大学改革を叫んでも、これでは、教職員は誰も振り向きません。それがわからない経営トップには、大学を統治する資格はありません。 こういうことが直らない限り、真のガバナンスやリーダーシップは確立しないし、そこには孤立があるのみです。 1000人の経営者から教わった 一流の人の考え方 山口雅之 日本実業出版社 発売日:2012-05-17 ブクログでレビューを見る»

高等教育政策の実現性

イメージ
教育評論家の 梨戸茂史 さんが書かれた 「 新政権の高等教育政策 」(文部科学教育通信 No.309  2013.2.11) をご紹介します。 選挙の結果、自公政権に代わり、教育再生実行会議もスタート。高等教育に関して、選挙時の政権構想を見ると、「激動の時代に対応する、新たな教育改革(平成の学制大改革)」として掲げている中に、「大学の9月入学を促進し、・・・ギャップターム(半年間)などを活用した大学生の体験活動(国とふるさと、環境を守る仕事(以下略))の必修化や、学生の体験活動の評価・単位化を行い、企業の採用プロセスに活用・・・」とある。大学の9月入学は、そもそも東大が言い出したものだが、これが国際化につながるか疑問もあるし、半年「遊ばせる」のは教員側の反対が多いなど課題だらけ。 よく分からないのは次の話。「専門学校の果たしてきた実績に基づき、職業教育に特化した新しい高等教育機関を創設し、『学校教育法』上の地位についても検討」とある。要は、「専門学校」に”高等教育機関”としての位置づけを与えるということなのであろうか。現在でも、統計上は、高等教育のカテゴリーに含まれていますよね。それとも「格上げ=専門”大学”」化を図っていこうということなのか。「大学等と産業界の地域社会とのより幅広い連携協力の下で、インターンシップを充実・・・地域密着型のコミュニティカレッジ化により、技能習得と就労を支援」というのは、現状の延長で可能かな。 「高等教育政策・大学政策の積極的な推進(大学ビックバン)」と題された部分では、「『大学力』は国力そのものであり、質・量両面の充実・強化が必要・・・経営が悪化したり、質が著しく低下した大学の改善を促し、成果が認められない時は退場を促す仕組みの確立や、社会や学生ニーズの観点からの新規参入認可プロセスの明確化など・・・設置基準の見直しを行」う、とあってこれは田中前大臣の方向。やはり『課題』です。 「世界トップレベルの大学は特区化し、諸規制を撤廃します。オープンラボ、研究サポートスタッフの設置を義務化・・・世界トップレベル大学からの博士号を持つ若手研究者の大量スカウト、資金支援など」ももっともな話。 「大学教育の質の保証徹底を義務化し、評価に基づく資金の重点配分(授業評価、教員の業績評価の厳格化等)・・・学長のリーダーシップ...

これからの大学職員論

イメージ
久々に、 山本眞一 さん(桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授)が書かれた論考を抜粋してご紹介します。 職員論の視点に必要なもの (文部科学教育通信 No.309 2013.2.11) SDに必要な広い視点 大学の事務職員のあり方・育て方が本格的に論じられ始めて十数年が経過した。この間、高等教育をめぐる諸状況はさらに変化し、職員に期待される役割もまた大きくかつ高度になってきた。今や職員を抜きに大学経営を語ることはできないまでに変化し、かつて私自身が大学事務局において体験した「教官の、教官による、教官のための大学自治」は、はるか記憶の彼方に遠ざかろうとしているかに見える。SD(職員の能力開発)は、FD(教員の能力開発)のように義務化されているわけではないが、多くの大学では必要に応じてさまざまな形でこれを実践している。私が2000年に筑波大学で始めた公開研究会は、今も形を変えつつ発展しているようであり、また同じような講演会・研修会は全国各地に広がりを見せている。職員論はきわめて隆盛であるという印象を多くの人々が持っていることであろう。 ただ、職員論の「創始者」の一人として思うには、われわれはここで一段と広い視野で職員論を語らなければならない時期に来ているのではないかということである。職員論は、大学経営における職員の立場を重視し、これによって意欲の高い職員の活動意欲を刺激し、また能力開発も大いに進んだことは喜ばしい。しかし大学は職員のみで動かせるものではない。大学の本来の役割は、知識・技術を研究によって開発し、これを教育によって伝え、またこれを社会の諸活動に応用することによってさまざまな貢献をすることにある。このためには、教員の活動をより活発にすることは欠かせない。大学経営は、大学の目的を達成するための手段であり、このことを忘れた職員論はありえないことをまず認識しておかなければならない。 能力と立場はパラレルに さて、以上のようなことを述べる理由には、図表1(略)に示したように、職員の能力と学内の立場とはパラレルの関係で向上させなければならないということがある。職員の役割が不当に低く評価されていた1980年代項までは、確かにまず行うべきは職員の学内的立場を向上させることであった。その頃でも、自らが出すぎることなく、黙々と業...

「情報」は取りに行くもの

イメージ
「 今日の言葉 」から 「 修身 」(2013年2月12日) を抜粋してご紹介します。 与えられる情報はすでに他人のフィルターを通して提供されています。 語源を紐解くと、「情報」とは「事情を報告すること」から来ているそうです。 「事情」は「実情」と異なり必ずしも隠された真実までは含まれていないのです。 だからこそ自分で取りに行かなければ本当のことはわからない。 少なくともマスコミやネットに流れている情報を鵜呑みにして判断してしまうことは危険だと気づいていることが大事ですね。 ときに「常識」を疑う姿勢が必要です。 昔は本を手に入れる為には全文を書き写していました。 そこまでして学びたいという気持ちと労力があれば、大抵のことは成し遂げられるでしょう。 だから簡単に本を買って読むことが出来る現代はなんと恵まれたことでしょうか。 これを活かさない手はありません。 今年の年頭に立てた目標はどれくらい達成されていますか? 大学は歴史の思想で変わる―FD・評価・私学 寺崎昌男 東信堂 発売日:2006-12 ブクログでレビューを見る»

教育財政と財政規律(2)

イメージ
前回に続き、故 大平正芳 内閣総理大臣が書かれた「 財政つれづれ草 」(1953年10月発行)を抜粋してご紹介します。 大日本育英会 昭和17年の7月、私は、内閣から大蔵省主計局に復帰して、文部省と南洋庁との主査を命ぜられた。当時我が国は、東条内閣の下、国を挙げて総力戦体制を整備しつつあった。文教行政の面にも、その余波をうけ、或はその時流に便乗して、科学技術の振興、師範学校の昇格、英才教育の助長、東洋文化の開発その他が、とり上げられていた。 東大に第二工学部が出来、各大学の理工学部の講座が無闇に増設され、或は、全国各地に、高等工業学校や、医学専門学校等所謂、理科系の学校が新設されたのもその頃である。又帝大の附属医専を始めとして、夜間高工が既存の学校に附設され、或は、高等商業学校を高等工業学校に改組する等という荒っぽい手段が講ぜられたのも、斯様な風潮を背景にしてであった。各帝大と有数の単科大学に大学院が附設され、各大学に無数の研究所が設立されたのも、正しく、その時期であった。 大日本育英会の設立も、又決してその例外ではなかった。野に遺賢なからしめ、凡ての英才を聖戦に参往させるためには、英才を抱きつつ、家貧しく学資乏しきが故に進学の道を塞いではいけないというので、育英事業が、国の手によって始めて組織的にとり上げられた。当時の大蔵大臣は賀屋興宣氏、主計局長は植木庚子郎氏(現代議士)で、この仕事は、植木氏と私が、大げさに言えば、心血を注いでやり途げた仕事である。 育英事業というのは、何もこれが始めての試みではなく、既に、全国各地の旧藩主や篤志家によって相当広範囲に営まれていた。私の郷里香川県においても、松平伯爵の庇護の下に香川県育英会があり、坂出市の素封家鎌田勝太郎氏の出捐のもとに鎌田共済会があって、私もこの両育英会のお世話で、大学までの進学を恵まれた一人である。数多くの人々が、こうして各々その出身地の育英会の手によって、高等教育を受け、立身の緒口を掴むことができた。 しかしこれまでの育英会は、おしなべて、私的な寄附行為による財団法人であって、国又は公共団体が財政的に関連をもっているものは少なかった。今度は、国が直接この仕事の経営の主体となり、財政上の主体にもなるということになるのだから、どういう理念によって、この制度を...

教育財政と財政規律(1)

イメージ
平成25年度予算の政府案が去る1月29日に閣議決定され、現在国会において審議が行われています。 文教予算、とりわけ大学に関係の深い高等教育、科学技術関係予算案の内容については、既にこの日記でもご紹介したところです。 平成25年度文教・科学技術予算のポイント(財務省) 文部科学省高等教育局主要事項(文部科学省) 平成25年度国立大学の入学定員について(予定)(文部科学省) 政権交代後初めて行われる予算審議になりますが、与野党は決して従前のような党利党略に走るのではなく、お金がないといって消費増税を国民に求めているのですから、真に国民目線の真摯な政策論議に緊張感をもって臨んでほしいと思います。 ふとしたことから、故 大平正芳 内閣総理大臣が書かれた「 財政つれづれ草 」(1953年10月発行)という本に目を通す機会を得ました。書かれてから随分時間が経過しておりますが、予算のバラマキに終始し、借金まみれになってしまった我が国には、今こそ当時のような財政規律を重んじ守り続ける覚悟が必要なのではないでしょうか。抜粋してご紹介します。 教育財政 教育というようなことは、勿論これに要する財源の多寡によって、その優劣を判断できるものではない。小さい塾の中で、新しい日本を打建てる基礎を培った松下村塾もあった。学校が輪かんの美を誇り、設備の充実と豊富な蔵書をかち得ても、それだけでは何も意とするに足りない。立派な教育内容をもち、立派な人物を養成しなければ、無用の長物になりかねない。 ところが、終戦の前後から、我が国の文教行政は、学校の新設拡充、教職員の待遇改善等、謂わば、外形的な充実を計るに急であって、教育内容のことはおきざりにされていた怨みがある。私が大蔵省主計局で文部省の主査をやっていた昭和17年、文部省は、何と15の高工、11の医専、4の高師を一挙に新設してもらいたいという不敵な要求を提出してきた。その他数多の研究所の新設も併せ要求してきた。 私はその尨大な要求を受けて、実のところ唖然とした。勿論予算の当初要求というものは、決してそれがそのまま通過する等とは考えていないこと位は、百も承知であった。だがもう少し真面目に提案してもらい度いと思った。学校を新設することを、株式会社の設立のように、無造作に考えられては、た...