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日本の大学の根本的な弱点

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山崎元(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員)さんが書かれた 「 東京大学をはじめとする日本の大学は「品質管理」に集中せよ 」(2013年8月28日ダイヤモンドオンライン) のうち、気になった部分を抜粋してご紹介します。 センセイたちにお任せの大学教育 授業の「品質管理」が最大の問題 全ての大学を知るわけではもちろんないが、筆者の知る大学ではどこでも、個々の授業の内容は基本的に授業を担当する教授や准教授に任せられていて、センセイたちはお互いの授業内容に細かく干渉することはない。個々にバラバラの自由が確保された上での、時には過剰なまでに民主的な自治の環境であり、センセイたちにとってはなかなか快適な環境だ。 その結果、授業の内容や質がバラバラになっていることが、日本の大学における最大の弱点ではないだろうか。 学生が自分の将来の目的や知的好奇心に合わせたカリキュラムを選択することができる点が、大学で学ぶことの醍醐味の1つではあるが、たとえば、同じ大学の学部学科の卒業生でも、受けた授業の内容にも学生の学力にも大差がある。 また、複数の授業が連携し合って、必要な知識を修得させないと、「不定型な内容について多様な知的経験を試行錯誤的に繰り返しながら血肉化していく」(浜田東大学長。前出記事より)といった、理想のはるか以前のレベルでさまようだけの役立たずの若者を量産することになるだろう。 近年の東大生ならできるのかもしれないが、「血肉化」以前に、何も身に付かないで卒業する学生が、東大でもかなりの数いるのではないか。 (1)授業と授業の連携が取れていないこと (2)授業内容が教師に任されていて、専門的な能力を持った第三者のチェックを受けていないこと (3)教師自体の質の維持と競争環境に厳しさがないこと この3点がほとんどの日本の大学の根本的な弱点ではないか。つまり、「授業」という大学の根幹をなすサービスの品質管理が、まるでできていない(多くの場合、やろうともしていない!)ことが問題だ。 グローバルかぶれしたカルチャーセンターをつくっても、魅力的な人材は育たない 断っておくが、学生に授業評価のアンケートなどをするだけでは、全く不十分だ。専門家の相互チェックによる授業内容の向上と、複数の授業の連携が重要だ。 また、多くの場合定年...

スカイタイム

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ブログ「人の心に灯をともす」から 「 子どもたちとの約束 」(2013年8月5日) を抜粋してご紹介します。 羽田発、沖縄行きの機内でポーンと軽快な音がして、シートベルト着用のサインが消えた。 窓側に座った妻・友里は、待ちかねたようにバッグの中から写真を二枚、取り出した。 光穂(みつほ)と真(しん)の写真だ。 「光穂、真ちゃん。ほら、もう雲の上まで来たよ。飛行機に乗ってるんだよ。見える?」 目に涙をいっぱいためた妻が、小さな声で二人に語りかける。 妻はあの日以来、全く笑わなくなってしまった。 1年前の3月11日。 津波は、私と妻の大事なものばかり奪っていった。 家はもちろん、しっかり者の母、穏やかな祖母、そして二人のかわいい子どもたち。 私たち夫婦はあの日から抜け殻のようになってしまった。 たくさんのものがぽっかり抜け落ちた状態に耐え切れず、「みんなのところに行こう」と言い出したのはどちらだったか、覚えていない。 みんなのところへ行く前に、せめて子どもたちとの約束だけは果たそうと、私たちは沖縄行きを決めた…。 私たちは、海沿いの町から車で30分ほど走った商店街の一角でパン屋をしていた。 夫婦二人でもやっていけるほどの小さな店で、焼きたてのメロンパンと、妻が改良に改良を重ねたラスクが人気だった。 私と妻は毎朝、光穂や真が寝ている間に家を出ていた。 母と祖母がいるから、安心して子どもたちを任せられたのだ。 それに、朝は早いけれど、仕込みさえ終われば遅くない時間に帰ることができるから、子どもたちと触れ合う時間もちゃん取ることができる。 ある日、売れ残ったパンを手に玄関のドアを開けると、バタバタと子どもたちが走ってきた。 5歳の娘と3歳の息子がいつものように、「パパ、ママ、あのね…」と口々に話し始める。 私は光穂と一緒にリビングへ行った。 「ね…、パパ。スカイタイムって知ってる?」 「スカイタイム?」私は首を捻った。 「タイムっていうとハーブかな?」 「ちがーう」 「ええ?なんだろうースカイだから…空に関係してる?」 「ちょっとせいかーい」 「あのね、飲み物なんだよ。美味しいジュース!」 「へえ、新しいジュースが出た...

教学のための経営

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オリックス会長の 宮内義彦 さんが書かれた 「 大学改革のススメ 」(2013年8月2日日本経済新聞) をご紹介します。 かれこれ10年になるでしょうか。私立大学の経営の在り方を考える「21世紀大学経営協会」という組織の理事長を仰せつかっています。そんな立場もあり、今回は日本の大学教育について少し考えてみたいと思います。 日本の大学はいま様々な問題を抱えています。学生数の減少、財政問題などもありますが、世界の優秀な大学ランキングというのを見ても、上位100大学に入っている日本の大学は2つだけ。日本では誰でも知っているような有名大学も300位、400位といった寂しい状況です。もちろんこのランキングの信ぴょう性に疑問を感じないでもありませんが、同時に全くのつくり事とも見えません。 なぜこんなことになっているのか。大学教育の社会に与える影響の大きさ、投入される資金、エネルギーの大きさから考えて、このように惨状といってもよい評価を受けたまま放置できる問題とは思えません。安倍総理が上位100校に10校は日本から出されねばと問題視しているのもうなずけます。 何が問題か? やはり大学が世界に伍して行ける、あるいは競って勝てるように運営されていないのが根本的な原因と思われます。すなわち大学経営のガバナンスに問題があると思うのです。「競争力のある組織をつくる」「より強くなる」という意識を持って編成されているかどうか。組織を運営するという意味では大学も企業と同じです。競争力を持たない限り、強い大学、よい大学は生まれません。 大学の競争力とは何か、それは企業間競争のように高い収益性を求めるものではありません。大学の場合は社会に影響力のある研究や将来社会に役立つことになる学生をどのようにして多く育てあげられるかが競われます。それに成功したのがより強い大学というのでしょう。大学はそうなるように運営されねばなりません。 大学を構成するのは誰でしょうか。まず最も重視されねばならないのはここで学ぶ学生であるはずです。先生方は大学に来る学生を鍛え学ばせ、専門性においても人間性においてもより高い方向に導かねばなりません。先生方の仕事はそこにあり、そのために自分の研究をしたり、教科を教えたりという仕事があるのです。従ってその成果が上がっているかどうかは大学という組織にと...

大切な日本の精神

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NHK解説委員室ブログから、羽衣国際大学准教授の にしゃんた さんが書かれた 「 おかげさまで 」(2013年7月22日) をご紹介します。 ◇ はじめまして、にしゃんた、と申します。今日皆さんの前でお話する御縁を頂いたことに心より厚く御礼を申し上げます。 私はスリランカ出身です。生まれたのは、国の真ん中らへんにある、キャンディーという街。実は、街そのものが世界遺産でもあります。 ここには、お釈迦さんの歯を祀る「仏歯寺」というお寺があったり、毎年8月には、何百頭という象さんが、綺麗なおべべを着て、優雅に道を練り歩くペラヘラ祭なんかも有名です。 私たち小さい時は、牛さんが引っ張る、牛車に乗って学校通ってました。学校行く時は、道端で沢山の象さんに会いまして、象を数えるのが日課でした。子どもの間には奇数の象さんに会うと良いことが起きて、偶数に会うと悪いことが起きる。そんなジンクスがありました。ですから学校で先生に怒られた時なんかは自分が悪いんじゃなくて象さんの数のせいだと思っていました。 そんな私が日本を最初に知るきっかけになったのは、小学校の教科書。「日本からの手紙」という一章がありました。内容は、お父さんに付いて日本にやって来たスリランカ人のお嬢さんが、国の友達宛てに、日本の様子を書いた手紙です。そこには日本人は、お箸でご飯を食べるんだとか、日本人はみんな忙しそうに生活しているんだとか、書いてあるような面白い文章でした。次、中学生になると、ちょうどスリランカにテレビが流行る時でして、丁度そこに「おしん」が放送されました。おしんは、人気でした。なんでかというと、おしんの中で映る日本と当時のスリランカが似てました。物はないのだけれども、笑顔絶やさず、一生懸命に前向きに生きている姿が「同じだね」と親近感をもって日本を見てました。 しばらくすると、また新しい日本の象徴がスリランカにやって来ました。それは、日本の中古車。スリランカ人は最初戸惑いました。というのも、「おしん」の映像には車のくの字も出てこない。とても同じ国とは思えない。でもどうやら同じだと解った瞬間、スリランカでは、日本人気が爆発しました。「あの貧しい日本が車を作れるようになった。私たちも頑張れば日本のようになれる」と。私にとってその機会がまさに、親近感を覚えていた日本が、夢を与えてく...

心の中にある“命”の力を引き出す

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ブログ「人の心に灯をともす」から 「 誰かに認められること 」(2013年7月18日) をご紹介します。 ◇ 東京のある学校の卒業式の1週間前に、一人の不良学生が校長に呼び出された。 常日頃悪行を重ねていた学生は、叱られるのを覚悟して、校長室のドアを叩いた。 「入れ」という威厳のある声と共に、 「鍵をかけなさい」といって鍵を渡しながら校長は、自らカーテンを閉めた。 学生は逃げられないようにして殴られると観念した。 「腰をかけ給え」といいながら、校長は、右に左にと歩きつつ、 「お前のいたずらは有名であり、他の先生の手もやき…云々」と切り出した。 学生は「きたなあ…」と奥歯をかみしめて身構えた。 「然しよくよく考えてみるに、君はお母さんを亡くし、その後に来たお母さんにいじめられ、本当に可哀想だと世間のうわさだが、大変だったなあ…。 思えば、そのうっ憤ばらしに、悪いと知りながら、やった事であると私は思う。 そうだな」 学生はおもわず拳を握りしめ、うなずきつつ、胸の熱くなるのをおぼえた。 「然し、ここでよく考えてみなさい、今さらお母さんの死を悔いても仕方がない。 人間は、必ず死ぬ。 いずれの日か死ぬという人生を、今日一日を価値高く生きよと、母の死は教えているのだ。 君のお母さんは、若くしてこの世を去ったが、立派なお母さんだった。 君のお父さんが、“まま母”と、君との間に立って、どれほど、気を遣い、心を痛めていられるかを考えたことがあるかい。 人間だけが、神の立場や相手の立場に立って考えることが出来るのだ。 自分を捨てて、心から親孝行をすれば、どんなひどい“まま母”でも、必ず感動するときが来る。 今、君が、すぐやるべきことは親孝行だ。 これは人間だけにある行為なのだよ。 こんな話をするのも、亡くなった君のお母さんが、草葉の陰から手を合わせて、私を通じて話をしているような気がしてならない。 まして、君は数多い卒業生の中で、将来大人物になる素質がある。 長年教育をやって来た私の立場から、それはよく判る。 だが一歩誤れば犯罪者にもなる。 今が大切な分岐点だ。 だから、これからは、本来の君に返り、心を明るくして朗らかにし、清く正しくもつことを心がけ、人の為、母の為になるよ...

無限の力を信じる

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ブログ「今日の言葉」から 「 無限の力 」(2013年7月17日) を抜粋してご紹介します。 突然、それは本当に突然でした。4年前になります。  お正月を過ぎてほどない日の午後、息子の功が意識を失って倒れたのです。不整脈から心肺停止状態に陥ったのでした。 小学生から野球に熱中し、中学生になると、浦安リトルシニアに入り、やがては甲子園出場、巨人入団を夢見ていました。そんな作文を小学6年の時に書いています。 中学3年で身長176センチ、体重63キロ、鍛えた筋肉質の身体は頑健で、学校は無遅刻無欠席、病気らしい病気を知らずにきた子でした。それだけに突然の異変は驚きでした。 それから4か月、何度も訪れた危篤状態を驚くような生命力で乗り越え、平成12年5月20日、功は天国に旅立ちました。15歳8か月の人生でした。 振り返ると、1日24時間では、とても足りないような毎日を過ごした子でした。 中学生になると、土日は野球の練習や試合でいっぱい。学校では生徒会役員を一年生からやり、三年では学級委員長も務めました。 それだけでも手いっぱいなのに、部活動ではバスケット部に入りました。 苦手の英語も、英会話で進める授業の面白さに引かれ、その勉強もしなければなりません。 野球の仲間、クラスメートとの遊びもあります。 あれもやりたい。これもやりたい。 でも、功はこだわりの強い性格なのでしょうか。中途半端が大嫌いで、どれ一つとして疎かにはできません。徹底してやるから、時間がいくらあっても足りないはずです。 「ああ、時間が欲しいよォ」 いまでも功の声が聞こえるような気がします。 あんなふうに生きたのも、自分に与えられた時間の短さを予感していたからなのかもしれません。 といって、功は特に才能に恵まれた子ではありませんでした。いささか恵まれているといえば背の高さぐらい。まず運動神経も人並み、頭脳のほうも人並みというのが率直なところです。 だから、何かを達成しようと思えば、努力しなければなりません。 野球でレギュラーになるのも努力、生徒会役員の務めを果たすのも努力という具合です。 そして、目標を立て努力すれば夢は叶うという確信を、小さい営みの中で功なりにつかんだのでしょう。 いつごろからか、功はそのことを「無限の力」と...

人間の法則

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「 思考に気をつけなさい 」( 2013年7月9日 人の心に灯をともす )を抜粋してご紹介します。 潜在意識には善と悪の区別はなく、とにかく感情をそのまま受け止めるというのが特徴。 ですから大切なのは、潜在意識にポジティブな発想で働きかけること。 とにかくネガティブな発想を手放すことから始めましょう。 ネガティブな発想があなたの運命を確実に悪い方向へと誘っていくというメッセージを伝えたものに、マザー・テレサの、「思考に気をつけなさい」という言葉があります。 「思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから 言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから 行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから 習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから 性格に気をつけななさい それはいつか運命になるから」 これが人間の法則です。 逆説的に捉えれば、ポジィティブな発想を持ち、いい言霊の言動を心がけ、積極的に接していれば、それはやがて優しさや犠牲的精神、利他的精神となって心の中に定着する。 愛に溢れた人は、豊かな人生を送ることができるということなのですから。 たとえあなたが、今は人間関係の暗闇の中にいたとしても大丈夫。 未来を変えることはいくらでもできます。 人間の法則、宇宙の法則ともいうべき潜在意識の法則を活用し、ストレスのない充実した人生を手に入れることは誰にでもできるのです。 人生は、「思った通りになる」、と言うと、「それでうまく行くなら苦労はいらぬ」、と鼻で笑う人がいる。 しかし、どんな些細なことでも、願ってすぐに実現することなどひとつもない。 努力に努力を重ね、あきらめずに何年も、いや何十年もコツコツと続けることによって成就する。 「思考は現実化する」という、ナポレオン・ ヒルの言葉がある。 それは、すなわち、思考は言葉に、言葉は行動に、行動は習慣に、習慣は性格に、性格は運命に、ということ。 思考の方向性は二つに一つしかない。 それは、「積極思考かマイナス思考か」、「現状打破か現状維持か」という二者択一。 中村天風師は、「蒔いた種のとおり花が咲く」という「善因善果、悪因悪果の法則」があるという。 よい種をまけばきれいな花が咲き、悪い種をまけば悪の花...

電子ジャーナルと研究評価

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金沢大学附属図書館長の 柴田正良 さんが書かれた論考「 電子ジャーナル問題は解決できるのか? 」( 日本私立大学協会 教育学術オンライン 平成25年4月 第2521号 )をご紹介します。 ◇ 日本に限らず世界的にも大学図書館で大きな問題になっているのが学術誌の価格高騰問題である。問題の深刻さを受けて、平成22年には日本学術会議が「学術誌問題の解決に向けて―「包括的学術誌コンソーシアム」の創設」という提言もとりまとめている。問題の背景には何があるのか。柴田正良金沢大学附属図書館長・人文学類教授に寄稿してもらった。 1 シジフォスの岩の如く この間ずっと大学図書館の関係者を苦しめているものの一つに、電子ジャーナルの価格高騰問題がある。こう言うと、電子ジャーナル問題とは図書館が抱える「財布」の問題にすぎないように聞こえるかもしれないが、実はそうではない。この問題には電子技術的な側面から国家の科学政策的な側面まで実にさまざまな論点が含まれているが、きわめて素朴に言えば、本質は、「人類がいかに自らの知的成果を公平かつ効率的に共有しうるか」ということである。とはいえ、これが大げさだと言うなら、「研究者は今、どうしたら自分たちの成果を取り戻すことができるのか」と言い直すこともできる。 「取り戻す」という言い方は、この問題がここ20年ほどの間に爆発的に膨張してきたという事実を訴えたいためである。17世紀の中頃から20世紀の中頃まで学術共同体の間に存在していたという「贈与の円環」(関係者の応分の負担による学術情報受発信システム)が崩れたあと、なぜ電子ジャーナルの価格高騰問題がこうも急速に先鋭化したのか。以下では、いまや複雑怪奇となったこの問題を素朴な視点から捉え直し、解決の方向に何が見えてくるのかを考えてみたい。 まず、電子ジャーナルを含めた電子資料の現状を見るために、幾つかの数字を拾ってみよう。電子ジャーナルの発行タイトル数は、全世界で、1990年を出発点として2006年には4万5000タイトルにまで膨れあがっている(Ulrich,s Periodicals Directory)。2008年には、全世界でSTM(理学・工学・医学)系の学術誌の約96%、人文・社会科学系の約87%が電子ジャーナルとなっている(Association fo...

キャリア教育とは

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学生支援に関わるテーマを議論する学内の会議に出席して時折気になることは、「キャリア教育」と「就活支援」を混同して議論していること、あるいは、教員が本来責任をもって成すべき「キャリア教育」の議論をほとんどせずに、「就活支援」というテクニカルなことばかりを議論していることです。 挙句の果てには、自らの指導力の無さを棚に上げての学生批判のオンパレード。本質から全くかけ離れた先生方の不毛な議論には付き合いきれません。 さて、今回は、教育評論家の 梨戸茂史 さんが書かれた「 キャリア教育とゼミ 」( 文部科学教育通信 No319 2013.7.8 )をご紹介します。 ◇ いわゆる「アベノミクス」で景気が回復してきているらしい。そのうち給料もあがり、学生の就職難も解消されるかもしれない。所詮、経済は「気分」だからか? さて、景気が悪くて正規の仕事に就けない若者が多かったリ、三年勤めたら辞める新入社員がいたりと、これはきちんとした労働観や職業に対する意識を学ぶべきではないかと、大学までもが取り組んだのは「キャリア教育」だった。 そもそもキャリア教育とは、表向きには「社会人としてのキャリアを在学中に学ばせる教育」だが、実質的には「就職指導」といった方が当を得ている。大学の増設、少子化で今や大学は供給過多。だから、あれこれと学生向けのサービスをやっているのだけれど、これは、「出ロ」のサービスのひとつ。きちんと就職させようとするプログラム。今や集客(学生募集)には必要不可欠な要素とみなされている。 そのキャリア教育で行われているのは自己診断、自分の見つけ方、コミュニケーションの取リ方、果ては就活の仕方、作法までいろいろ。もし仮に、これをまじめに学んで就活に出たとしても、それは”付け焼刃”。面接で「きわめて礼儀正しい、紋切リ型の答えをする、無能なリクルート学生」になる。そんな中身の無い学生、たいていの企業の人事担当者には「使えない」と見抜かれてしまうのがオチだろう。 しかL本来、キャリア教育の中核は、「労働とは何か」、「市場とは何か」、「資本とは何か」、「共同体とは何か」、「貨幣とは何か」…といった人間社会の成り立ちについての原理的な教育かもしれない。そして、働く意義と労働を通じて自分の社会における位置について自分で考えることだろう...

国立大学にイノベーションは期待できるか

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ジャーナリストの 井上久男 さんが「Business Journal」に書かれた記事「 特定大学へ1000億ばらまきに異論噴出…大学迷走の背景に潜む、旧態依然な経営の実態 」を抜粋してご紹介します。 国立大学法人のふがいない実態に深く切り込んでいます。厳しくも、なかなか的を得た指摘ではないでしょうか。 ◇ 日本の国立大学法人には、マネジメントという概念がほとんどない。大学におけるマネジメントとは、社会や時代が求めるニーズに合った研究・教育を展開していくために経営者自らが戦略を構築し、ミッションを維持させるための一定の収益を確保して組織発展させていくことである。まず、国立大学法人には経営者がいない。競争が激しい民間企業(株式会社)では、適任と見られる人物が株主の付託を得て経営者に選出され、業績によって経営責任が問われる。 ところが、国立大学は法人化され、一応企業経営の発想を採り入れながら、経営トップである総長・学長といった役職は選挙で選ばれている。そして大学の学長選挙は適任者が選ばれるとは限らない。たとえば、大阪大の総長選挙は、医学部、理学部、工学部出身者が輪番でトップに就けるように話し合いによって票を融通し合っていたし、しかも、経営改革をしない人をリーダーに選ぶようにしていた。話し合いが成立しない場合は、文学部のタレント的教授を祭り上げ、陰で医学部や工学部の実力者が大学を操るシステムだった。経営改革を掲げるような総長候補者が出たケースもあるが、皆で話し合ってその候補者に票が集まらないように「裏工作」した。 こうしたシステムでもやっていけるのは、国からの補助金で運営されているからである。「国立」であるため潰れないので、前近代的な古い経営システムでもやっていけるのである。 経営者に限らず、大学で働く教員や研究者の採用も前近代的である。文部科学省が管轄する独立行政法人・科学技術振興機構(JST)が運営するサイト「研究者人材データベース」というものがある。全国の大学の研究職の公募情報が満載されているが、「ここに載る求人情報のうち9割近くは、採用する人物が事前に内定しています。国立大学の研究者採用で公正性を担保するために公募という形を取っていますが、アリバイづくり的な意味合いが強い」と、ある公立大学教授は打ち明ける。 実際、ほと...