「外国人を受け入れる国」から「選ばれる国」へ――日本社会に問われていること
中国人がなぜ日本で「永住」を目指すのか――。この問いを考えるとき、私たちが目を向けるべきなのは、単に「なぜ中国人が日本に住みたがるのか」という問題だけではないように思います。むしろ大切なのは、なぜ日本が、外国の人々から「ここで暮らし続けたい」と思われる国になっているのか。そして、私たちはこれからどのような社会をつくっていくのかということではないでしょうか。
日本は、すでに「外国人が暮らす国」になっている
日本で暮らす外国人は、もはや一部の地域だけで見られる存在ではありません。働く人、学ぶ人、家族と暮らす人、地域で商売をする人など、さまざまな形で日本社会の一員となっています。
2026年6月末
2026年6月末
2026年6月末
出入国在留管理庁によると、2026年6月末の在留外国人数は428万1,026人となり、過去最高を更新しました。中国籍の人は94万1,031人で国籍・地域別では最多、「永住者」も96万1,342人に達しています。
こうした数字を見ると、日本社会そのものが変わりつつあることが分かります。外国人の増加は、単なる「外国人問題」ではなく、人口減少や少子高齢化、人手不足といった日本が抱える構造的な問題とも深く結びついているのです。
外国人は「労働力」であると同時に「生活者」でもある
日本に来て働き始めた人も、何年も暮らせば、地域で買い物をし、子どもを学校に通わせ、近所の人と関わり、税金や社会保険料を負担する生活者になります。仕事が終われば帰っていく一時的な労働者ではなく、家族や地域とのつながりを持ちながら人生を築いていく人も少なくありません。
「外国人労働者を受け入れる」という言葉だけでは、この現実を十分に表すことはできません。問われているのは、外国人をどれだけ受け入れるかという数量の問題だけではなく、日本で暮らす人々が互いに安心して生活できる社会をどうつくるかという問題なのだと思います。
もちろん、何でも無条件に受け入れればよいという話ではありません。日本の法律やルールを守ってもらうことは当然ですし、地域社会との摩擦や、社会保障、教育、治安、住宅など、現実に解決しなければならない課題もあります。受け入れる側の負担を軽視して、「共生」という言葉だけを掲げても、長続きする社会にはなりません。
「中国人」という一括りで見ないこと
ここで注意しなければならないのは、「外国人」という言葉で一括りにしてしまうことです。
たとえば、中国という国家と、現在日本で暮らしている一人ひとりの中国人は、同じものではありません。中国政府の政策や安全保障上の問題について、私たちが警戒し、必要な議論をすることは当然あります。しかし、そのことを理由に、日本で生活する個々の中国人まで一括して疑いの目で見るなら、それは国家と個人を混同することになります。
これは、国際情勢が厳しくなるほど重要な姿勢ではないでしょうか。
国際情勢が厳しくなるほど、この区別は重要になります。国家間には利害の対立があっても、地域社会では隣人として暮らしている人たちがいます。その現実まで否定してしまえば、社会の中に不必要な分断を生み出すことになります。
日本もまた「選ばれる側」になった
そして、もう一つ忘れてはならないことがあります。これまで私たちは、日本を「外国人が働きに来る国」と考えがちでした。しかし今や日本もまた、外国人から「選ばれる国」の一つになっています。
人手不足だから外国人に来てもらう。働いてもらう。そして必要がなくなれば帰ってもらう――。そうした一方的な考え方だけでは、これからの日本社会は成り立たなくなっていくでしょう。
外国人にも仕事を選ぶ自由があり、暮らす場所を選ぶ自由があります。「日本で働きたい」だけでなく、「日本で家族と暮らしたい」「ここで人生を築きたい」と考える人がいる以上、私たちもまた、日本という社会がどのように見られているのかを考える必要があります。
外国人が暮らしやすい社会は、日本人にも暮らしやすい
これは、外国人のためだけの問題ではありません。
外国人が安心して暮らせる社会は、日本人にとっても暮らしやすい社会であるはずです。法律やルールが明確で、差別や偏見に頼らず、困ったときには必要な支援につながることができ、地域の中で互いに尊重し合える。そうした社会は、日本人にとっても決して悪い社会ではありません。
逆に、外国人を排除することでしか安心を保てない社会になれば、その矛先はやがて別の「異質な存在」に向かうかもしれません。社会の中にある不安や不満を、特定の人々に背負わせるだけでは、本当の問題は解決しないからです。
問われているのは「受け入れるか、拒むか」だけではない
私たちが考えるべきなのは、「外国人を受け入れるべきか、受け入れないべきか」という単純な二択ではないでしょう。
人口が減り、働き手が減り、地域社会の担い手も減っていく日本で、誰とどのように暮らしていくのか。その中で、守るべきルールは何か、支えるべき仕組みは何か、そして互いに何を求めるのかを、冷静に考えていくことが必要です。
外国人が日本に永住したいと思うこと自体は、決して日本にとって脅威であるとは限りません。むしろそれは、日本という国が「ここで暮らしてみたい」と思われている一つの表れでもあります。
もちろん、そのことを手放しに喜ぶのではなく、なぜ日本が選ばれているのか、そして選ばれ続けるためには何が必要なのかを考えることが大切です。
まとめ――問われているのは、私たち自身の社会のあり方
外国人の増加をめぐる議論では、ともすれば「外国人がどうするか」という話に終始しがちです。しかし、本当に問われているのは、私たち日本人がどのような社会を望んでいるのかということではないでしょうか。
外国人を「労働力」としてだけ見るのか、それとも同じ社会で暮らす生活者として見るのか。国家間の対立と、目の前にいる一人の人間を区別できるのか。そして、日本を「人に選ばれる社会」にしていくために何が必要なのか。
外国人との共生は、外国人だけの問題ではありません。それは、人口減少や人手不足、地域社会のあり方、そして私たち自身の社会の成熟度を映し出す鏡でもあります。
だからこそ、感情的な排斥にも、無条件の受け入れにも流されず、現実を見ながら冷静に考えたい。外国人が「日本に住み続けたい」と思う社会を、私たちはどのような社会として育てていくのか――。その問いこそ、これからの日本を考えるうえで、私たち一人ひとりに突きつけられているのだと思います。

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